2025-05

広島廿日市

卒塔婆石/康頼灯籠(広島県廿日市市)

そとばいし/やすよりとうろう鹿ヶ谷の陰謀で鬼界ヶ島に流された平康頼(源平の武将)は、帰還を願った和歌を1000本の卒塔婆に書いて海に流した歌の書かれた1本の卒塔婆が厳島神社に流れ着いて、そこから康頼の赦免が叶った卒塔婆が流れ着いた場所にあっ...
広島廿日市

尼の州(広島県廿日市市)

あまのす壇ノ浦の戦いで入水した二位の尼の遺体が流れ着いた有の浦を指す浜(浜海岸)には遺体が流れ着いたことを忌み嫌って周囲を掘った窪地があった有の浦には現在“二位殿燈籠”と刻まれた灯籠が立つ『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.12広...
尾張

七ツ石(愛知県一宮市)

ななついし東征を終えて伊吹山に向かう折、日本武尊が自分の剣(刀剣)を研いだとされる名石この故事から別名・剣研石と呼ばれる『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.23日本伝承大鑑:愛知県一宮市 大和町戸塚
東三河

七人塚(愛知県新城市)

しちにんづか長篠の戦いで敗れた武田方の落人7名がこの地まで来たが、これ以上逃げ切れないと悟り自刃した塚には7本の刀(刀剣)と7つの土器が埋められているとされる『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.238愛知県新城市 池場下日向
東三河

奥平仙千代の墓(愛知県新城市)

おくだいらせんちよのはか長篠城主の奥平信昌(戦国武将)の弟・仙千代は武田への降伏の人質となった長篠の戦いの時に、信昌が徳川へ寝返ったため処刑された(子女受難)刑場となった場所では、草一本でも折ると発病や発狂するとされた(祟り)『日本の伝説7...
東三河

▲やすら姫の塚(愛知県新城市)

やすらひめのつか長篠の戦いの時に敗れた武田方の武将の姫を祀る塚とされる毎夕近隣の家に杵と篩(農具)を借りる娘があり、夜ごと杵の音もするため、後を付けてみると塚の前で姿を消した塚を掘ると赤い甕が見つかり、中には人骨が詰まっていたが、蓋を開ける...
西三河

南朝若宮社(愛知県岡崎市)

なんちょうわかみやしゃ別名は根の若宮社尹良親王が浪合で敗死した後、その一子の良王親王(崎之宮)は乳母らと共に逃げおおせた(後南朝)この地まで来た時に親王は発病し、看病の甲斐なく亡くなり、乳母も悲しみのあまり死んだ境内には親王および乳母を葬っ...
海部知多

津島神社(愛知県津島市)

つしまじんじゃ尹良親王の一子である良王親王は、父の死後、臣下の者11名と共に津島に至る(後南朝)津島神社には尹良親王を祀る若宮社があり、良王親王は当社の神主に、臣下の11名が社家となったとされる『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.2...
東三河

川宇連神社(愛知県豊根村)

かわうれじんじゃ後醍醐天皇の孫にあたる尹良親王(後南朝)がこの地に滞在したと伝えられ、祭神となっている境内にあるハナノキ(木本)は、親王が使った箸が根付いたものである『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.231愛知県豊根村 坂宇場御所...
東三河

女郎淵(愛知県設楽町)

じょろうぶち長篠の戦いで敗走した望月右近太夫(戦国武将)の奥方は、夫の消息を尋ねて三河へ赴いたその途中で奥方は殺され、その遺骸はこの淵に投げ棄てられた(子女受難)『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.225・239愛知県設楽町 神田向...