2025-08

北薩

関白陣(鹿児島県伊佐市)

かんぱくじん“天堂ヶ尾”とも呼ばれる、小高い丘豊臣秀吉が島津氏との和睦の際に島津の武将・新納忠元(戦国武将)と面会した場所「再び刃向かうことがあるか」と秀吉に問われ「主が立てば立つ」と新納が答えたまた「鼻の下にも鈴虫ぞ鳴く」という下の句に対...
北薩

源頼朝の石塔(鹿児島県伊佐市)

みなもとのよりとものせきとう広徳寺跡にある供養塔で、中央が源頼朝、左右に比企能員(源平の武将)と丹後局(側室:島津氏初代の生母)の墓とされる広徳寺は頼朝の弟・乙若丸(義円:源氏)が開山とされる『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p....
北薩

稲荷神社(鹿児島県伊佐市大口大島)

いなりじんじゃ祭神に平氏の子孫である小松殿が祀られる平重盛の末子・宗実の遺児である宗衡と盛衡は、菱刈氏に預けられこの地に住んだとされる(平家の落人)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.63鹿児島県伊佐市 大口大島
北薩

竹の瀬戸(鹿児島県伊佐市)

たけのせと永禄12年(1569年)島津氏と菱刈氏が戦い(戦国の戦い)、偽の橋を渡った菱刈軍の兵が多数溺死した戦のあった5月6日になると、白馬に乗った若武者の幽霊が淵に飛び込み、これを見た者は死ぬ『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p...
北薩

郡山八幡神社(鹿児島県伊佐市)

こおりやまはちまんじんじゃ永禄2年(1559年)の本殿修理の際に「焼酎(酒)を腹一杯飲ませてくれない」と書かれた落書が発見されたこの地を高貴な姫君が75名の従者を連れて通り掛かり、鹿児島までの道のりを尋ねた京言葉で聞き取れないため適当に答え...
鹿児島霧島

河伯祭場址碑(鹿児島県霧島市)

かはくさいじょうあとひ長雨で水害が起こるのを防ぐため河童に人身御供をする慣わしがこの地にあったこの地に配流された和気清麻呂に、身の回りの世話をしていた稲積翁(地方豪族)が役人と巫女の奸計(悪事)であると注進して中止させた人身御供のために集め...
鹿児島霧島

和気神社(鹿児島県霧島市)

わけじんじゃ宇佐八幡宮神託事件で流罪となった和気清麻呂の配所跡に造られた神社島津斉彬(大名)の命で調査をして配流地と確定、昭和21年(1946年)に社殿が建立された(創建伝説)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.60鹿児島県霧島...
鹿児島霧島

日本武尊祝宴の地(鹿児島県霧島市)

やまとたけるのみことしゅくえんのち熊襲健(隼人熊襲)を討ち果たした日本武尊が、それを祝って宴会をおこなった地当地であることを示す石碑が建ち、そばにある橋は“祝橋”という名が付けられている『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.59鹿...
鹿児島霧島

熊襲穴(鹿児島県霧島市)

くまそのあな熊襲族(隼人熊襲)の首領であった川上梟帥が根城としていた洞穴この地で川上梟帥は、女装して近づいた日本武尊に殺されたとされる洞内の壁はモダンアートによって彩色されている『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.59鹿児島県霧...
鹿児島霧島

大浪池(鹿児島県霧島市)

おおなみのいけ子宝に恵まれない夫婦が神に祈って出来た娘を「お浪」と名付けて大切に育てた年頃になり美しくなったお浪に結婚の申し込みが舞い込んだが、どれもすべて断った霧島にある大きな池を訪れたお浪はそこに飛び込んで、元の姿である大蛇(龍)となっ...