鹿児島霧島米山薬師(鹿児島県姶良市) よねやまやくし本尊の薬師如来像(仏像)は、文明年間(1469~1487年)に起宗という僧侶が越後米山で翁から授かった(創建伝説)疱瘡除け(悪瘡平癒)の仏として有名『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.47鹿児島県姶良市 鍋倉 2025.08.25鹿児島霧島
鹿児島霧島蒲生八幡神社 蒲生のクス(鹿児島県姶良市) かもうはちまんじんじゃ かもうのくす日本一の大きさの楠の木和気清麻呂がこの地を訪れ、持っていた杖を挿したところ根付いた横恋慕で出水を追われた若者が、相思相愛の姫から貰った種を蒔き、それが生長した楠の木(悲恋伝説)『日本の伝説11 鹿児島の伝... 2025.08.25鹿児島霧島
鹿児島霧島住吉池(鹿児島県姶良市) すみよしいけこの池の所有を巡って、老神神社の神と黒島神社の神が争い、老神神社のものとなったこの池に棲む大蛇は毎年娘を人身御供として要求していたある老僧が、瓢箪を布団に巻いたものに着物を着せて娘の代わりに池に入れるように教えた大蛇はそれを捕ら... 2025.08.25鹿児島霧島
鹿児島霧島豊臣秀頼の墓(鹿児島県鹿児島市) とよとみひでよりのはか大坂の陣から逃れた豊臣秀頼が島津氏を頼って落ち延び(生存説)、谷山で生涯を終えたとされる墓所近所で金を払わず飲食をしていたため、無銭飲食のことを“谷山の食い逃げ”と呼んだ(俚諺)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書... 2025.08.25鹿児島霧島
鹿児島霧島波之平刀匠 笹貫井戸(鹿児島県鹿児島市) なみのひらとうしょう ささぬきいど刀匠の波平派が居住し、刀剣作りに使用していた井戸刀匠の波平行安は刀剣の仕上げの場を妻に見られたため、不浄としてその刀剣を藪に捨てたその後刀剣を捨てた竹藪で夜な夜な怪光が見られた落ちてきた笹の葉が刀剣の刃に突... 2025.08.25鹿児島霧島
鹿児島霧島涙橋(鹿児島県鹿児島市) なみだばし刑場へ引き出される囚人を家族が見送った橋ここから先へ同道することが出来ず、家族が涙を流したことから名付けられた(地名の由来)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.42鹿児島県鹿児島市 郡元 2025.08.25鹿児島霧島
鹿児島霧島梅ヶ淵(鹿児島県鹿児島市) うめがふちある殿様に仕えていた梅という侍女が、給仕の際に床板が軋み、放屁したと咎められた(子女受難)梅は無念のあまり甲突川のこの淵に身を投げたことから、梅ヶ淵と呼ばれた(地名の由来)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.42鹿児島... 2025.08.25鹿児島霧島
鹿児島霧島俊寛之碑(鹿児島県鹿児島市) しゅんかんのひ鹿ヶ谷事件で罪を得た俊寛らが、この地にあった堀割(俊寛堀)から舟に乗せられ鬼界島へ流されたとされる現在は石碑のみ立つ『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.40鹿児島県鹿児島市 中町 2025.08.25鹿児島霧島
鹿児島霧島千石天神社(鹿児島市鹿児島市) せんごくてんじんしゃ宝暦年間(1751~1564年)、南泉院(現照国神社付近)の池の蛙が、千石天神社の池の蛙と戦ったお互いの池を行き来して4日間戦った後に和議を結んだが、多くの蛙が死んだ(珍事)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p... 2025.08.24鹿児島霧島
鹿児島霧島持明院様(鹿児島県鹿児島市) じみょういんさあ通称“ジメサア”島津義久(戦国大名)の三女で、島津家久(大名)の正室となった亀寿(持明院)の石像(貴人像)人格は優れていたが、器量が良くなかったため、その死後より石像に化粧する風習が伝わった(化粧する像)石像に化粧すると美人... 2025.08.24鹿児島霧島