2025-10

川越飯能

持明院(埼玉県所沢市)

じみょういん寺の南ある曼荼羅淵には河童が棲んでおり、夏になると人間の生き肝を他の河童に中元として贈っていた夏に淵に行く者が減り、困った河童は居合わせた馬を襲ったが、逆に捕らえられた河童は持明院の住職に説教されて改心し(人外の悟り)、人を襲わ...
行田春日部

川俣締切跡(埼玉県羽生市)

かわまたしめきりあと文禄3年(1594年)におこなわれた利根川治水(堤防)の最初期の工事跡この時人柱となった行者(行者山伏)を祀った締切神社の石碑が横にある(祠は現存せず)『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.55埼玉県羽生市 上新...
行田春日部

避来矢神社(埼玉県羽生市)

ひらいしじんじゃ下野国から飛んできた大石(甲石:投げ石)を御神体とする藤原秀郷が龍王から授かった“避来矢の鎧”にちなんだ社名となる(名称の由来)『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.55埼玉県羽生市 上村君
行田春日部

小松神社(埼玉県羽生市)

こまつじんじゃ平家が滅びる際に、平重能(源平の武将)が平重盛の遺骨を持って東国へ行き、この地に埋めた目印に植えた銀杏は御神木となって“乳銀杏”と呼ばれ、乳の出が良くなるご利益があるされた(授乳の俗信)『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店...
行田春日部

本町地蔵(埼玉県羽生市)

ほんまちじぞう別名・下町地蔵男地蔵とされ、上町にある女地蔵に恋して、毎夜丑三つ時になると女地蔵のところへ通った(遊ぶ神仏)その時男地蔵は、火の玉(怪火)に変化して猛然と地面を転がっていったため、人が見物することは出来なかった『日本の伝説18...
行田春日部

総願寺(埼玉県加須市)

そうがんじ重篤な病となった58代光孝天皇が智証大師(名僧)に命じて彫らせた不動明王(仏像)を祀る関東に移された後に水害によって像が流されこの地に辿り着いたため、ここに堂宇を建てて祀った(創建伝説)不動明王を祀ったことから不動岡の名が付いた(...
さいたま川口

永勝寺 相海上人入定塚(埼玉県鴻巣市)

えいしょうじ そうかいしょうにんにゅうじょうづか寛文2年(1662年)相海(僧侶)は喘息で苦しんでいたことから、人々が喘息で苦しまないことを念じて入定した(入定塚)願を掛けて喘息が治ると、竹筒に酒を入れて奉納する習慣がある(特別な奉納)『日...
さいたま川口

三ツ木神社(埼玉県鴻巣市)

みつぎじんじゃ織田信長の比叡山焼き討ち(法難)から逃れた上人が山王権現を奉じてこの地の塚に小祠を建てて祀った(創建伝説)神使である猿の像に赤い粉を塗って祈願すると、その部分が良くなるとされる(特有の願掛け)この像は女猿とされ、特に婦人病(下...
さいたま川口

安養寺八幡神社(埼玉県鴻巣市)

あんようじはちまんじんじゃ安養寺の八幡神と、川向こうの市ノ縄の八幡神とが不仲となって争いをした安養寺は白旗を立てて攻めたが、市ノ縄は松の枝を振り回し、枝が目に当たった安養寺が敗れた安養寺の境内では松を植えることは禁忌とされ、また神社周辺の土...
さいたま川口

勝願寺 仁王像(埼玉県鴻巣市登戸)

しょうがんじ におうぞうかつて運慶作の仁王像があったが、その悪鬼のような容貌から人々から怖れられていたたびたび近辺の子供が行方不明となり、ある夜総出で探していると、山門の仁王が口から血を流していた(子女受難:血の怪)子供を食ったものと判断し...