2026-03

唐津伊万里

報恩寺 百婆仙の碑(佐賀県有田町)

ほうおんじ ひゃくばせんのひ朝鮮の役の後、百婆仙は夫の宗伝(陶工)と共に朝鮮から武雄に渡ってきた(渡来人)夫の死後、70歳の時に一族総出で武雄から有田へ居を移し、作陶を続けた明暦2年(1656年)に96歳で亡くなるまで、数百人の陶工をまとめ...
武雄多久小城

黒髪山 夫婦岩(佐賀県武雄市)

くろかみやま めおといわ谷を挟んで右が雄岩、左が雌岩とされる夫婦岩この地に流れてきた新三郎と、庄屋の娘のお君はお互い惹かれあって恋仲となったしかし新三郎がキリシタンであることが露見したため黒髪山へ逃げ込み、それを追ってお君も山に入った(ある...
武雄多久小城

泣きびすさん(佐賀県鹿島市)

なきびすさん文明9年(1477年)大村日向守家親の居城であった蟻尾城は落城し、家親の妻(あるいは乳母)は赤子を連れて落ち延びた(落城伝説)追っ手をやり過ごそうとした時、突然赤子が泣き出したため、捕まることを潔しとせず妻は赤子を刺し、自らも自...
佐賀鳥栖

浄徳寺 弁財天シャクナゲ(佐賀県神埼市)

じょうとくじ べんざいてんしゃくなげ脊振山の弁財天が、ある時、英彦山を訪れて石楠花の花(木本)を見て欲しがったしかし英彦山の天狗が拒否したため、密かに盗んで脊振山に持ち帰ろうとした気付いた天狗に追いかけられ途中で石楠花を投げ捨てたため、脊振...
佐賀鳥栖

お辰観音(佐賀県佐賀市)

おたつかんのん金立山で不老不死の仙薬(薬草)を探す徐福は、千布の源蔵の家に逗留し、源蔵の娘・お辰が身の回りの世話をした徐福とお辰は相思相愛となったが、仙薬発見に多忙を極めたために次第に会う機会がなくなったそのうちお辰は重篤な病を得るが、最期...
佐賀鳥栖

源蔵松(佐賀県佐賀市)

げんぞうまつ浜から金立山へ行く途中で徐福が、千布の地で源蔵という者の家に立ち寄った源蔵は金立山への道案内をし、娘のお辰は徐福の身の回りの世話をした源蔵は徐福一行を案内した記念に松の木を植え、今もそれが受け継がれている“千布”の地名は、湿地帯...
佐賀鳥栖

徐福御手洗井戸(佐賀県佐賀市)

じょふくみたらいいど浮盃の浜に上陸した徐福一行が、水を確保するために掘ったとされる井戸徐福がこの井戸で手を洗ったことから“寺井”という地名となった(地名の由来)大正15年(1926年)に民家から、井桁が残る古井戸が発見され、それを徐福ゆかり...
佐世保平戸

岩屋権現(長崎県川棚町)

いわやごんげん虚空蔵山に棲む鬼の群れが周辺を荒らし回り、岩屋権現の神を悩ませていたある時、権現は鬼に「一晩で麓まで石段を積むことが出来れば、何でも願いを叶える」と約束した石段が完成する直前に権現は鶏の鳴き真似をし、鬼は逃げ去ってしまった(一...
武雄多久小城

嬉野の大茶樹(佐賀県嬉野市)

うれしののだいちゃじゅ樹高約5m、樹齢約350年の茶の大樹慶安年間(1648~1652年)に白石から移り住んだ吉村親兵衛(名士)が植えた茶樹の1本であるとされる親兵衛は慶安3年(1650年)に死一等減じられて以来、茶業を志して植樹・製茶法を...
武雄多久小城

異教徒塚(佐賀県嬉野市)

いきょうとづか以前は“外道宗塚跡”と呼ばれていた不動山一帯には多くのキリシタンが住んでおり、この地は教会と墓地があったあったとされるかつてこの地から釘が打ち込まれた頭蓋骨が複数見つかったが、異教徒は埋葬の際に頭に釘を打ち込むとの口碑(死の俗...