長崎堤防(鹿児島県薩摩川内市)

北薩

ながさきていぼう

  • たびたび起こる川内川(河川)の氾濫を治めるため、藩は小野仙右衛門(藩士)を奉行として堤防を造らせた
  • 失敗を繰り返したため、堤防を築く位置を示す代わりに横はぎの着物を着た者を人柱を立てることを約束した
  • 長縄を流して場所を決めた後、現場で遊んでいた仙右衛門の娘が消えたが、その時横はぎの着物を着ていた(子女受難)
  • また一説では、仙右衛門が16歳の娘を人柱に立てた夜、火の玉(怪火)が飛んだ軌跡に合わせて堤防を築いたとも

『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.71

鹿児島県薩摩川内市 高江町

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