弁天渕の石祠(愛知県設楽町)

東三河

べんてんぶちのいしぼこら

  • 長篠の戦いで敗走した望月右近太夫(戦国武将)の奥方は、夫の消息を尋ねて三河へ赴いた
  • その途中で奥方は殺され、遺骸は川に投げ棄てられ、その右手(手足)だけがさらに下流に流されてきた(子女受難)
  • 腕が流れ着いた集落では凶事が続いたため、弁天様の祠を建てて祟りを鎮めた

『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.225・239

愛知県設楽町 神田東

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