唐津伊万里

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土器崎/七ツ釜(佐賀県唐津市)

かわらけざき/ななつがま三韓征伐の時、神功皇后の軍勢がこの地で戦勝祈願(あるいは戦勝祝い)をおこない、海神を祀り、神酒をいただいた土器(酒器)を海中に投げた(地名の由来)当地にある“七ツ釜”は、40mの断崖に7つの海蝕洞穴が並んである場所で...
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神集島(佐賀県唐津市)

かしわじま沖合1kmのところにある、周囲約6kmの島三韓征伐の折、神功皇后がこの島に立ち寄り、八百万の神々を集めて戦勝祈願をおこなった(地名の由来)島には、皇后が弓軍を準備した弓張山、応神天皇を産まれた産子山などの伝説地が残る『日本の伝説3...
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湊疫神宮(佐賀県唐津市)

みなとやくじんぐう別名“湊八坂神社”、通称“やくじんさん”三韓征伐に行く途中、神功皇后がこの地に寄ったが、海が荒れて出港できなくなった皇后は榊を立てて祈願し、その後榊を焼いた灰を振って禊ぎをすると海が凪いで出港できたこの故事に従い、旧暦の1...
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法幢寺(佐賀県唐津市)

ほうどうじこの寺の本尊は、元は玉島川の淵そばにあったが、承安2年(1172年)の洪水で堂宇ごと流されてしまった3年後、海中で夜な夜な怪光が発するため、旅僧が読経すると本尊があることが分かり、引き揚げられたこの仏像は空海作とされ、唐から戻った...
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衣干山(佐賀県唐津市)

きぬぼしやま標高163mの山松浦佐用姫が大伴狭手彦(豪族)の乗った船を追って鏡山から駆け下りた時、松浦川に飛び込んでしまったその濡れた衣類を干して乾かした山とされる(地名の由来)あるいは涙で濡れた衣類を乾かしたともまた別説では、三韓征伐から...
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浄泰寺 安田作兵衛の墓(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やすださくべえのはか本能寺の変で織田信長に一番槍を刺したとされる、安田作兵衛国継(戦国武将)の墓旧友の寺沢広高といずれかが出世したら禄高の十分の一で召し抱えるとの約束をしており、広高が唐津の大名となったため、家臣となった作兵衛...
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浄泰寺 矢負いの如来(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やおいのにょらい領主波多氏の代官が、寺の良田と自分の悪田をこっそり取り替えたが、田植えの頃に毎夜苗が踏み荒らされた家来が不寝番をしていると小僧が来て田を荒らしたので、矢を放ったが、姿が消えてしまった泥のついた足跡を追うと寺に行...
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近松寺(佐賀県唐津市)

きんしょうじ文禄2年(1593年)に唐津の領主となった寺沢広高(大名)が再興し、その諡号である“近松寺殿”から寺名が採られた(名称の由来)境内に近松門左衛門の遺髪塚(墓所)がある墓石碑文では4世住職の遠室禅師(名僧)の下で学僧として修行した...
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唐津神社(佐賀県唐津市)

からつじんじゃ三韓征伐の渡航の際に航路が分からなくなったため、神功皇后が住吉三神に祈願して、無事朝鮮へ渡ることが出来た帰還後、皇后は松浦の浜(浜海岸)で鏡を奉納して住吉三神を祀った孝謙天皇の御代に、領主の神田宗次(地方豪族)が夢告を受けて、...
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玉鬘古墳(佐賀県唐津市)

たまかずらこふん『源氏物語』に登場する玉鬘にまつわる古墳玉鬘が肥前国松浦の里にあった時に大夫監から求婚され、それを拒むため裏山の洞穴の中に隠れた都に上れるよう鏡神社に祈願へ行く途中、怪我をした白狐を助けた直後に都へ上る手筈が整い、さらに白狐...