河内胸切坂 胸切地蔵(大阪府河内長野市) むなぎりざか むなぎりじぞう堺の長者の娘が紀州へ嫁ぐため、輿に乗ってこの坂に差し掛かった時、新郎の急死が伝えられた娘は決して実家へ戻らぬ決心であったため、この場で胸を懐剣で刺して自害した(子女受難)このためこの坂を胸切坂と呼ぶようになった(... 2025.07.09河内
河内黄金塚(大阪府河内長野市) こがねづか諸越長者は栄耀栄華を極めていたが、ある時貧しい一家の団欒を見て、その暮らしに憧れを持った旅の僧が「貧乏になりたければ毎食ごとに箸を邸外に捨て、それが大きな塚になる頃に願いが叶う」と言ったそれを実行して10数年後に一文無しとなった長... 2025.07.09河内
河内狭山池(大阪狭山市) さやまいけ日本最古のため池とされるこの池には雌の大蛇が棲み、夫である雄の大蛇の棲む粟ヶ池に毎夜通うため、大きな被害があったこのため狭山池に祠(現在の龍神社)を建てて、雄の大蛇を導いて一緒に住まわせた(創建伝説)種屋五兵衛という者が池畔を歩い... 2025.07.09河内
河内楠公誕生地(大阪府千早赤阪村) なんこうたんじょうち楠木正成の生誕地とされる地楠木氏館跡(屋敷跡)と考えられる遺跡が見つかっている豊臣秀吉の命で祠が建てられたことから祀られた『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.80大阪府千早赤阪村 水分 2025.07.09河内
河内楠公産湯の井戸(大阪府千早赤阪村) なんこううぶゆのいど楠木正成の生誕地とされる地にある井戸跡楠木正成(幼名:多聞丸)誕生時に産湯として湧水が使われた『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.80大阪府千早赤阪村 水分 2025.07.09河内
河内西方寺 与九郎稲荷(大阪府富田林市) さいほうじ よくろういなり源義経・静御前に付き従う継信・忠信兄弟の正体は、初音の鼓(楽器)の皮となった狐の子であった義経はその忠勤を褒め、鼓を与えると共に、兄弟にそれぞれ与九郎と源九郎の名を与えた兄の与九郎は河内国の西方寺、弟の源九郎は大和... 2025.07.09河内
河内美具久留御魂神社(大阪府富田林市) みぐくるみたまじんじゃ崇神天皇の頃、この地に大蛇が現れて人々に危害を加えた天皇自らが調査して、それが大国主命の荒御霊であると確認した出雲大社より神剣(刀剣)を貰い受けて、この地に祀った(創建伝説)『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.... 2025.07.09河内
河内石川五右衛門石(大阪府太子町) いしかわごえもんいし遠州浜松の大野師泰の家臣・真田蔵之進は、家督を奪われた若君を匿って、この地に住んだ亡君の子を養うために盗賊を始め、石川五右衛門と名乗ったとされる五右衛門が腰掛けたされる腰掛け石がある『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店... 2025.07.09河内
河内西方院(大阪府太子町) さいほういん聖徳太子の侍女であった3人の女性(蘇我馬子・小野妹子・物部守屋の娘)が、太子の死後に出家(尼僧)して建立した寺(創建伝説)『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.77大阪府太子町 太子 2025.07.09河内
河内叡福寺(大阪府太子町) えいふくじ叡福寺七不思議と呼ばれるものがある御廟の周囲にある結界石は空海が一夜で築いたが(一夜作り伝説)、何度数えても数が合わない聖徳太子が母の棺を担いだ楠の棒を挿すと巨木となった(大乗木)御廟には松の木が生えない、鳥が巣を作らない、雨が降... 2025.07.09河内