さいたま川口

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馬蹄寺(埼玉県上尾市)

ばていじ知道という旅の僧侶が長者の吾妻左衛門是好の屋敷に投宿したが、その夜具の立派さにそれを盗んで逃げようとした逃げようとする知道の前に馬が立ち塞がり、自分は左衛門の伯父の三輪庄司好光の生まれ変わりだと喋った好光は悪行で落ちぶれ、生前に受け...
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氷川鍬神社(埼玉県上尾市)

ひかわくわじんじゃ寛永8年(1631年)の大晦日、土地の子供と共に3人の少年が櫃を乗せた車を引いたが、宿場はずれで突然動かなくなった大人が櫃の中を確かめると、金の御幣と稲穂、2丁の小鍬(農具)があり、それを御神体として祀った(創建伝説)『日...
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慈恩寺(埼玉県さいたま市岩槻区)

じおんじ慈恩寺の南にあった沼に龍神が棲み、毎年村の娘を人身御供に取っていたある時、慈恩寺の知元坊(僧侶)が娘の代わりに藁人形を櫃に納めて人身御供としたその後特に何の災いもなかったため、以降は藁人形作って沼に納めることが慣習となった『日本の伝...
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龍門寺 手なし不動(埼玉県さいたま市岩槻区)

りゅうもんじ てなしふどう龍門寺の不動堂に安置される不動明王像は、夜な夜な大入道に化けて街道で人を驚かしていたある武士が退治しようと大入道を見つけ、一太刀浴びせたところ手応えがあった(動く絵や像)翌朝寺の者が堂内を見ると、像の片手が落ちてい...
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鎧宮八幡神社(埼玉県さいたま市岩槻区)

よろいのみやはちまんじんじゃ徳川家康が岩槻城を攻めた時、この神社の境内に兵を集結させたことから“鎧宮”の名が付いた(名称の由来)城攻めの渡河で難儀していると、一人の老翁が白馬に乗って軽々と川(河川)を渡るのを見た老翁が渡った場所には渡河しや...
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上小子育地蔵(埼玉県さいたま市大宮区)

かみここそだてじぞう別名・首なし地蔵、喧嘩地蔵長らく首のないまま祀られていたが、ある老人の夢に「櫛引町の畑の中に首が埋まっている」との夢告があった首を掘り出して繋げたところ、特に子育てにご利益のある地蔵と崇敬されるようになった『日本の伝説1...
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慈眼寺 八百比丘尼の碑(埼玉県さいたま市西区)

じげんじ やおびくにのひ若狭国に住む通鴻という者が龍宮へ行き、土産に貰った人魚の肉を娘が食べ不老不死となった娘は八百比丘尼となり、武蔵の地に長年住み続けたが何処ともなくいなくなった一説では、800歳でこの地を訪れた尼は、善政を敷く領主に残り...
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普門院 月江禅師木像(埼玉県さいたま市大宮区)

ふもんいん げっこうぜんじもくぞうある者が路上で賊に襲われ斬られようとした時、突然大男が現れて代わりに斬られ、普門院辺りで消えた翌日訪ねると、開山の月江禅師(名僧)の像(貴人像)に刀傷(傷痕)が残っていた(動く絵や像:身代わりの神仏)禅師の...
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普門院 小栗上野介首塚(埼玉県さいたま市大宮区)

ふもんいん おぐりこうずけのすけくびづか烏川河原で処刑された小栗上野介(幕臣)の首を、小姓の銀之介が故郷の大宮に持ち帰り埋葬した上野介は逆賊とされたため、首塚(墓所)には無銘の石が置かれている『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.2...
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塩地蔵(埼玉県さいたま市大宮区)

しおじぞう浪人者の父とその娘が大宮に来たが、そこで父が病で倒れてしまった娘は塩(食品食材)断ちをして地蔵に父の病気平癒を祈願したところ治ったため、多くの人に信仰されるようになった『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.27埼玉県さいた...