賢養院 関の小万の墓(愛知県豊橋市)

東三河

けんよういん せきのこまんのはか

  • 久留米藩士の妻が夫の仇討ちの途中、東海道の関の宿で女児を産んで亡くなり、女児は宿の山田屋で育てられた
  • 16歳で実の親の仇を知らされた小万(女傑)は剣術を学ぶが、その道すがら無頼の若者に襲われ斬り殺してしまう
  • 関にいられなくなった小万は仇討ちの旅に出て、途中で吉田(豊橋)の小間物商人・山田市郎右衛門と知り合う
  • 浜松で親の仇を見つけた小万は市郎右衛門の助けを借りて、見事に仇討ちをなした
  • その後、小万は市郎右衛門の妻となり、店で化粧紅(化粧品)を売って評判となったという
  • (上記は豊橋に伝わる関の小万の仇討ち話で、地元の関に残る史実とは異なる)

『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.175

愛知県豊橋市 関屋町

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