奥能登

阿武松緑之助碑(石川県能登町)

おうのまつみどりのすけひ第6代横綱(相撲)の出身地に昭和12年(1937年)に建てられた高さ4.5mの顕彰碑阿武松は文政11年(1828年)に横綱となる現在でも、巡業時には力士が立ち寄って参詣する『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書...
能登南

義民道閑顕彰碑(石川県中能登町)

ぎみんどうかんけんしょうひ加賀藩の十村役(名士)だった園田道閑は、寛文5年(1666年)に検地に反対してこの地で磔となった(刑場)地元では義民として崇められ、カゲロウや蛍も道閑の亡魂とされた昭和42年(1967年)に刑場跡を公園化し、顕彰碑...
加賀

草深甚四郎碑(石川県川北町)

くさぶかじんしろうひ天狗にさらわれて剣の奥義を学んだとされる、戦国時代の剣豪・草深甚四郎の墓所がある甚四郎が編み出した深甚流は加賀藩の武学校・経武館で伝授継承された昭和以降この場所で慰霊祭や奉納剣道大会がある『日本の伝説12 加賀・能登の伝...
備後

和泉式部手植下り松碑(広島県尾道市)

いずみしきぶてうえくだりまつひ厳島神社参詣で船に乗った和泉式部が、途中嵐に遭った嵐を避けて向島に上陸出来た式部が記念に植えた松の木が明治時代まであり、その跡に石碑が残る『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.88広島県尾道市 向東町古...
備北芸北

へらほりの池跡(広島県安芸高田市)

へらほりのいけあと吉田の豪商であった河野与三郎が、へら(木工品)を使って日数を掛けて池を造らせることで貧民救済を図った池はなくなったが、この慈善事業を後世に伝えるために石碑が建てられた『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.54広島県...
備北芸北

百万一心の碑(広島県安芸高田市)

ひゃくまんいっしんのひ毛利元就が、吉田郡山城の築城工事の際に、人柱の代わりに埋めた石碑「一人一人が力を合わせて、心を一つにして事にあたる」ことを意味する(教訓譚)文化13年(1816年)に長州藩士が発見したとされるが、拓本のみで実物は未見と...
広島廿日市

乳母堰追慕の碑(広島県広島市安佐北区)

うばぜきついぼのひ文政年間(1818~1831年)に長らく広島藩主(大名)の乳母を務めた褒美として、“おしゆん”という女性が井堰(用水路)造営を嘆願して実現させた乳母の徳を讃えた顕彰碑が大正時代に建てられた『日本の伝説21 広島の伝説』(角...
広島廿日市

蛇王池の碑(広島県広島市安佐南区)

じゃおういけのひ阿武山に棲む大蛇が害をなすため、八木城主・香川光景の同族である香川勝雄(武人)が名乗り出て退治した(化け物退治)勝雄が大蛇の首を刎ねたところ、首が落ちた場所が血で沼のようになって池ができた供養の石碑は、昭和27年(1952年...
東三河

鳥居強右衛門磔死之趾(愛知県新城市)

とりいすねえもんたくしのあと長篠の戦いの時、包囲された長篠城から抜け出して援軍を要請した鳥居強右衛門(武人)は、城へ戻る途中で武田方に捕まった援軍が来ないと嘘を言えば命を救うとされるが、強右衛門は味方に援軍到着を伝え刑死した(刑場)『日本の...
西三河

大浜熊野大神社 菊女の碑(愛知県碧南市)

おおはまくまのおおじんじゃ きくじょのひ 享保3年(1718年)幕府の捕吏に村人多数が暴行を加えた責を負って(騒動)、加藤友右衛門(名士)は伊豆大島へ流罪となった妻の菊女(貞女)は熊野大神社でお百度を繰り返し、写経の一部と自筆の手紙を添えて...