よろいのみやはちまんじんじゃ
- 徳川家康が岩槻城を攻めた時、この神社の境内に兵を集結させたことから“鎧宮”の名が付いた(名称の由来)
- 城攻めの渡河で難儀していると、一人の老翁が白馬に乗って軽々と川(河川)を渡るのを見た
- 老翁が渡った場所には渡河しやすいように城側が石を敷いており、それを伝って城を攻め落とした(落城伝説)
- 渡河した老翁は、敵が攻めることを知らせようとした八幡神社の神(八幡神)だった
- そのため岩槻城を守護していた久伊豆神社と八幡神社は不仲となり、両社の氏子の婚姻は禁忌となった(神仏の失態)
『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.38
埼玉県さいたま市岩槻区 南辻