武雄多久小城心月妙泉尼之碑(佐賀県嬉野市) しんげつみょうせんにのひ寛永の頃(1624~1644年)、不動山周辺でおこなわれたキリシタン狩りの中で、赤子を背負った一人の女が捕吏によって斬られた(子女受難)女は絶命する直前に念仏を唱えたため、キリシタンではなかったことが分かり、憐れんだ... 2026.03.02武雄多久小城
唐津伊万里副島勇七の碑(佐賀県伊万里市) そえじまゆうしちのひ大川内の御用窯で働いていた副島勇七は稀代の陶工と謳われたが、度々藩の役人と衝突し、ついに大川内から無断で出奔した3年後、伊予の砥部焼の窯で働いているところを見つかり、絵の具売りに化けた捕吏(藩士)によって捕らえられ、寛政... 2026.02.24唐津伊万里
武雄多久小城常在寺 平敦盛供養塔(佐賀県嬉野市) じょうざいじ たいらのあつもりくようとう7世住職の成紹法印(名僧)が京へ上る途中、摂津国一の谷の古戦場を通りがかると、死屍累々の状態であったため供養の読経をした寺に帰ると、一の谷の戦いで討死した平敦盛(平氏)の幽霊が現れ、修羅道の苦しみを訴... 2026.01.20武雄多久小城
武雄多久小城清水の滝(佐賀県小城市) きよみずのたき高さ75m、幅13mの滝で、別名“玉簾の滝”と呼ばれる近くの清水観音宝地院の滝行がおこなわれる霊場とされる肥前藩6代藩主(大名)の鍋島宗教が大病を患った時、藩士の倉永清雄が病気平癒の祈願で滝に打たれ凍死した天明7年(1787年... 2026.01.18武雄多久小城
佐賀鳥栖九千部山(佐賀県鳥栖市) くせんぶやま天暦5年(951年)この地方の飢饉を憂えた隆信沙門(僧侶)が山頂で49日間の法華経一万部読誦の発願をした残り7日となった時に白蛇が現れ、さらに傍らに美女(怪人)が現れて誘惑してきた心を奪われた沙門は女を抱き、満願の日に骸となって... 2025.12.14佐賀鳥栖
熊谷深谷清心寺 平忠度供養塔(埼玉県深谷市) せいしんじ たいらのただのりくようとう一の谷の戦いで平忠度(平氏)を討ち取った岡部六弥太忠澄(源平の武将)が、帰国後その武勇を悼んで建立した供養塔(五輪塔)自領の中で最も景色の良い場所を選んで供養塔を建てたとされる境内には、忠度の妻の“菊の... 2025.10.26熊谷深谷
前橋伊勢崎養行寺 静御前の墓(群馬県前橋市) ようぎょうじ しずかごぜんのはか奥州へ逃れた源義経の後を追ってきた静御前は当地で病死した養行寺の墓は供養塔であるとされる『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.42日本伝承大鑑:群馬県前橋市 三河町 2025.09.25前橋伊勢崎
松江出雲▲八百屋お七・小姓吉三の墓(島根県出雲市) やおやおきち・こしょうきちざのはか鰐淵寺参道にある墓碑(供養塔)八百屋お七慰霊のために出家した小姓吉三は全国を行脚中、鰐淵寺で行き倒れとなり、2人の墓が建てられた『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.52島根県出雲市 別所町 2025.09.04松江出雲
指宿枕崎日置虎御前供養塔(鹿児島県南九州市) とらごぜんくようとう鎌倉時代に製作されたもので、塔の頂部に中国から伝来した“薩摩塔”が置かれている曾我兄弟の兄・曾我十郎の愛妾であった虎御前のために建てられた供養塔この付近の木を伐ると死ぬとされ、死んだ者があるとされる(祟るもの)『日本の伝... 2025.08.28指宿枕崎日置
薩摩川内出水源頼朝の石塔(鹿児島県伊佐市) みなもとのよりとものせきとう広徳寺跡にある供養塔で、中央が源頼朝、左右に比企能員(源平の武将)と丹後局(側室:島津氏初代の生母)の墓と伝わる石塔に“源頼朝”の名が刻まれているが、昭和6年(1931年)の移転時に彫られたものである広徳寺は頼朝... 2025.08.26薩摩川内出水