供養塔

鹿児島霧島

涙橋(鹿児島県鹿児島市)

なみだばし刑場へ引き出される囚人を家族が見送った橋ここから先へ同道することが出来ず、家族が涙を流したことから名付けられた(地名の由来)西南戦争(戦乱)の激戦地で、“涙橋血戦の碑”(供養塔)が建つ『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p...
鹿屋垂水曽於

虎ヶ石(鹿児島県志布志市)

とらがいしこの地を訪れた虎御前が曾我兄弟のために建てた供養塔あるいは虎御前の墓とされるかつては近くの大慈寺の境内にあたり、夜歩いていた武士が妖怪と間違えて斬りつけた傷痕が残る『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.26鹿児島県志布志...
鹿屋垂水曽於

おきん女供養碑(鹿児島県鹿屋市)

おきんじょくようひ?垂水島津家の当主・久信(大名一門)はおきんという村娘に懸想した意に添わなかったため蛇の入った甕に押し込め殺した(子女受難)憐れにい思った者が供養塔を建てたが、おきんの出生地の野間では美人が生まれなくなった(美醜の俗信)『...
身延市川三郷

琴路崖・琴路の滝(山梨県早川町)

ことじがけ・ことじのたき奈良田の吾平は、仕事で出会った琴路という娘と恋仲となった琴路は毎夜はるばる奈良田まで通い続けるが、その愛着執心を怖れた吾平は、途中の一本橋に鋸を入れて細工したその夜琴路は橋が崩れ落ちて亡くなり、吾平も別の場所で身投げ...
高槻茨木池田

曾我の宮跡/鬼王・団三郎の墓(大阪府能勢町)

そがのみやあと/おにおう・だんざぶろうのはか曾我兄弟に仕えた鬼王・団三郎の兄弟がこの柏原の出身であり、仇討ち後郷里に戻って主人の冥福を祈って祠を建立した宮跡と同じ場所には、鬼王・団三郎兄弟の供養塔が残る『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店...
大阪

太融寺 淀殿の墓(大阪府大阪市北区)

たいゆうじ よどどののはか明治10年(1877年)に、大阪城外鴫野弁天島の弁天社の隣にあった淀君の墓を改葬したもの改葬の際に九輪塔(供養塔)が築かれた(戦災で六輪に)『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.25大阪府大阪市北区 太融寺町
輪島珠洲

永禅寺 曾我兄弟供養塔(石川県珠洲市)

ようぜんじ そがきょうだいくようとう山門近くに曾我兄弟の供養塔があるが、中興の開山となった月庵禅師(名僧)が曾我氏の出身であるとされるこの寺は、曾我兄弟の供養のために全国を行脚していた虎御前が庵を結んだことから始まるとされ、開基を曾我兄弟と...
輪島珠洲

鎌倉屋敷(石川県穴水町)

かまくらやしき正式名称は明泉寺石塔群在地(墓地)明泉寺から300mほど離れた飛び地境内の中央奥にある宝篋印塔が源頼朝の墓(供養塔)とされることから名が付いた(地名の由来)『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.114石川県穴水町...
津島常滑知多

今川塚(愛知県東海市)

いまがわづか通称「今川さん」桶狭間の戦いで討死した今川義元の遺体を家臣がここまで運び、寺に葬った(寺は現存せず)塚には供養塔と“今川義基墳”と刻まれた石碑があるが、“義元”であることを隠すための“誤字”とされる家臣達はその後もこの地に留まり...
館山南房総

和泉式部供養塚(千葉県館山市)

いずみしきぶくようづか那古山の展望台(潮音台)にある供養塔木樵(杣人)の夢の中に現れたことに由来するとされる(夢告)明治32年(1899年)頃、病気平癒の噂が立ち参拝者が激増した(流行神:信仰の墓碑)供養塚の隣には和泉式部の娘の小式部内侍の...