北毛川戸神社(群馬県東吾妻町) かわどじんじゃ旧名・首宮(かみのみや)大明神貞治年間(1362~1368年)岩櫃城主の吾妻太郎行盛(南北朝の武将)が里見兵庫に敗れて、自害した(落城伝説)その時自ら首を刎ねて投げると、首級は川向こうまで飛んで怪光を放ったため、それを祀った(... 2025.09.28北毛
北毛山妻有大明神 山妻有の桜(群馬県沼田市) やまつまりだいみょうじん やまつまりのさくら新田義貞の息子・義宗(南北朝の武将)の妻子がこの地に滞在していた義宗が討死したためこの地を逃れたが、その時の形見として植えたの木が残る『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.67群馬県沼田市... 2025.09.27北毛
北毛うつぶしの森(群馬県沼田市) うつぶしのもり正平23年(1366年)新田義貞の息子・義宗(南北朝の武将)がこの一帯で足利方の上杉・千葉と戦った(南北朝の戦い)義宗は敵の矢を右目に受けて落馬、うつ伏せになって討死した場所が叢林となって残った(地名の由来)『日本の伝説27 ... 2025.09.26北毛
石見三隅神社(島根県浜田市) みすみじんじゃ南北朝の武将・三隅兼連を祀る隠岐から脱出した後醍醐天皇に加勢したが京での戦いで戦死、明治時代になって忠臣として脚光を浴び、昭和12年(1937年)に創建『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.101島根県浜田市 三... 2025.09.11石見
石見蟠龍峡(島根県美郷町) ばんりゅうきょう領主の小笠原長親(南北朝の武将)は、家臣の玄太夫宗利の戦功から褒美に側室を与えて本妻とさせた数年後本妻は病により醜女となり、玄太夫は一人の女中に心を寄せるようになった嫉妬(嫉妬猜疑)した本妻は、3人で峡谷(渓谷峡谷)へ遊山へ... 2025.09.10石見
出雲神門寺(島根県出雲市) かんどじ空海がこの地で「いろは四十八文字(文書)」を著し、出雲大社へ参籠の後にこれを広めたとされるその故事から別名・いろは寺とも称する境内に塩冶判官高貞(南北朝の武将)の墓所がある『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.46島根... 2025.09.04出雲
出雲塩冶判官碑(島根県出雲市) えんやはんがんひ南朝の武将として戦った塩冶高貞(南北朝の武将)は謀反の疑いを掛けられ、領国の出雲へ戻って自刃した(冤罪)高貞を祀った高貞社が後年荒廃したため、大正時代に旧地に記念碑を建てた『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.... 2025.09.04出雲
河内久親恩寺 親乞薬師(大阪府枚方市) くしんおんじ おやこいやくし楠木正儀の家臣・篠崎六左衛門(南北朝の武将)は、妻子を残して僧(樟葉道心)となって全国を行脚した8年後、郷里に立ち寄った道心は、妻の骨拾いをする2人の子と出会い、素性を隠して回向をおこなった(子女受難)その後、9... 2025.07.12河内
河内和田賢秀の墓(大阪府四條畷市) わだけんしゅうのはか楠木正行の家臣(南北朝の武将)で、四條畷の戦い(南北朝の戦い)で討死した討ち取られる際に敵の鎧に噛みついたまま首を切られた歯痛に効験があるとされ、信仰されている『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.93大阪府四條畷... 2025.07.11河内
大阪小楠公義戦之跡(大阪府大阪市中央区) しょうなんこうぎせんのあと楠木正行(南北朝の武将)が、この地にあった渡辺橋で北朝方と戦い、勝利した(南北朝の戦い)記念碑敵の将兵約500名が橋から転落したのを助け、衣食や薬などを与えねぎらった助けられた将兵は正行に帰順し、後に正行と共に全員... 2025.07.06大阪