南北朝の武将

熊谷深谷

陽雲寺 畑児塚(埼玉県上里町)

よううんじ はたこづか?新田四天王・畑時能(南北朝の武将)は越前で討死したが、従者の児玉光延が首級を持ち帰った光信が亡くなると時能の墓に一緒に葬られ、墓所は両者の名を採って畑児塚と呼ばれた『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.109...
川越飯能

薬王寺 ねずみ薬師(埼玉県所沢市)

やくおうじ ねずみやくし南朝の新田義宗(南北朝の武将)が隠れ住んだ終焉の地とされ、本尊の薬師如来(仏像)はその持仏といわれる後に鼠が大繁殖し、新田の怨霊の仕業とされた時、薬王寺の本尊がそれを追い払うとして広く信仰された(鼠除け)『日本の伝説...
行田春日部

最勝院 春日部重行の首塚(埼玉県春日部市)

さいしょういん かすかべしげゆきのくびづか新田義貞の部将であった春日部重行(南北朝の武将)は春日部郷の地頭となるが、京都での戦いで敗死した最勝院の境内にある墳丘が重行の首塚であるとされる春日部市の名称は重行の名から取られている(地名の由来)...
北毛

川戸神社(群馬県東吾妻町)

かわどじんじゃ旧名・首宮(かみのみや)大明神貞治年間(1362~1368年)岩櫃城主の吾妻太郎行盛(南北朝の武将)が里見兵庫に敗れて、自害した(落城伝説)その時自ら首を刎ねて投げると、首級は川向こうまで飛んで怪光を放ったため、それを祀った(...
北毛

山妻有大明神 山妻有の桜(群馬県沼田市)

やまつまりだいみょうじん やまつまりのさくら新田義貞の息子・義宗(南北朝の武将)の妻子がこの地に滞在していた義宗が討死したためこの地を逃れたが、その時の形見として植えたの木が残る『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.67群馬県沼田市...
北毛

うつぶしの森(群馬県沼田市)

うつぶしのもり正平23年(1366年)新田義貞の息子・義宗(南北朝の武将)がこの一帯で足利方の上杉・千葉と戦った(南北朝の戦い)義宗は敵の矢を右目に受けて落馬、うつ伏せになって討死した場所が叢林となって残った(地名の由来)『日本の伝説27 ...
石見

三隅神社(島根県浜田市)

みすみじんじゃ南北朝の武将・三隅兼連を祀る隠岐から脱出した後醍醐天皇に加勢したが京での戦いで戦死、明治時代になって忠臣として脚光を浴び、昭和12年(1937年)に創建『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.101島根県浜田市 三...
石見

蟠龍峡(島根県美郷町)

ばんりゅうきょう領主の小笠原長親(南北朝の武将)は、家臣の玄太夫宗利の戦功から褒美に側室を与えて本妻とさせた数年後本妻は病により醜女となり、玄太夫は一人の女中に心を寄せるようになった嫉妬(嫉妬猜疑)した本妻は、3人で峡谷(渓谷峡谷)へ遊山へ...
出雲

神門寺(島根県出雲市)

かんどじ空海がこの地で「いろは四十八文字(文書)」を著し、出雲大社へ参籠の後にこれを広めたとされるその故事から別名・いろは寺とも称する境内に塩冶判官高貞(南北朝の武将)の墓所がある『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.46島根...
出雲

塩冶判官碑(島根県出雲市)

えんやはんがんひ南朝の武将として戦った塩冶高貞(南北朝の武将)は謀反の疑いを掛けられ、領国の出雲へ戻って自刃した(冤罪)高貞を祀った高貞社が後年荒廃したため、大正時代に旧地に記念碑を建てた『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p....