南北朝の武将

松江出雲

神門寺(島根県出雲市)

かんどじ空海がこの地で「いろは四十八文字(文書)」を著し、出雲大社へ参籠の後にこれを広めたとされるその故事から別名・いろは寺とも称する境内に塩冶判官高貞(南北朝の武将)の墓所がある『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.46島根...
松江出雲

塩冶判官碑(島根県出雲市)

えんやはんがんひ南朝の武将として戦った塩冶高貞(南北朝の武将)は謀反の疑いを掛けられ、領国の出雲へ戻って自刃した(冤罪)高貞を祀った高貞社が後年荒廃したため、大正時代に旧地に記念碑を建てた『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p....
八尾河内長野

久親恩寺 親乞薬師(大阪府枚方市)

くしんおんじ おやこいやくし楠木正儀の家臣・篠崎六左衛門(南北朝の武将)は、妻子を残して僧(樟葉道心)となって全国を行脚した8年後、郷里に立ち寄った道心は、妻の骨拾いをする2人の子と出会い、素性を隠して回向をおこなった(子女受難)その後、9...
八尾河内長野

和田寺(大阪府枚方市)

わだでら惟喬親王が遊猟の折、一帯の人々を害する3本足の白雉を退治してこの地に葬った(化け物退治)あるいは遊猟の際に、3本足の白雉が渚の院に飛んできて死んだため、この地に葬った境内には「三足白雉霊」の石碑がある長く荒廃していたが、和田賢秀(南...
八尾河内長野

和田賢秀の墓(大阪府四條畷市)

わだけんしゅうのはか楠木正行の家臣(南北朝の武将)で、四條畷の戦い(南北朝の戦い)で討死した討ち取られる際に敵の鎧に噛みついたまま首を切られた歯痛に効験があるとされ、信仰されている(信仰の墓碑)『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.9...

日部神社(大阪府堺市西区)

くさべじんじゃ神武東征の折、初めて神武天皇が上陸して長髄彦と最初に戦った“日下の蓼津”の比定地とされ、石碑が建つ和泉国の豪族・日下部首氏の祖神である彦坐命を祀る本殿脇にある石灯籠は正平24年(1369年)の銘があり、楠木正儀(南北朝の武将)...
大阪

小楠公義戦之跡(大阪府大阪市中央区)

しょうなんこうぎせんのあと楠木正行(南北朝の武将)が、この地にあった渡辺橋で北朝方と戦い、勝利した(南北朝の戦い)記念碑敵の将兵約500名が橋から転落したのを助け、衣食や薬などを与えねぎらった助けられた将兵は正行に帰順し、後に正行と共に全員...
大阪

香具波志神社(大阪府大阪市淀川区)

かぐはしじんじゃ孝徳天皇がこの地を行幸され、「香ぐわし」と和歌を詠んだことにちなむ(名称の由来)上田秋成(文人)が5歳で天然痘で危篤となった時、両親が祈願して68歳の天寿を授かった(神仏の加護)楠木正儀(南北朝の武将)が馬を繋いだ駒繋ぎの楠...
岡崎豊田刈谷

糟目犬頭神社(愛知県岡崎市)

かすめけんとうじんじゃ貞和2年(1346年)、上和田城主の宇都宮泰藤(南北朝の武将)が犬を連れて狩りをした帰り、この神社の木陰で休んだ泰藤が寝ていると急に犬が吠えだし鳴き止まなかったため、その首を刎ねた首は高く舞い、泰藤を狙っていた大蛇に噛...
豊橋豊川新城

羽衣の松(愛知県豊川市)

はごろものまつ天女(天人)が羽衣を松の木に掛けて豊川で水浴びをしていたところ、ある男が羽衣を奪い隠した天女は仕方なく男と結婚して男児を成したが、ある時羽衣を見つけて天に帰っていった(羽衣伝説)天女は乳の代わりに片葉の茶の実を残し、男児は成長...