叢林

奥能登

太夫の森(石川県穴水町)

だゆうのもり海岸沿いにある丘で、加賀宝生流の祖とされる諸橋権之進(能狂言師)の屋敷跡といわれる叢林『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.111石川県穴水町 前波
能登南

行者ヶ端(石川県七尾市)

ぎょうじゃがはな泰澄の弟子の臥行者(仙人)が寝そべりながら修行をしていた叢林臥行者はこの地から鉢を飛ばして、行き交う船から米を布施として受け取っていた(飛鉢伝説)『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.103石川県七尾市 能登島...
能登南

気多大社(石川県羽咋市)

けたたいしゃ能登国一之宮祭神の大己貴命(大国主命)が能登の荒ぶる神を平らげた故事にちなむ平国祭が行われる(祭礼)背後にある叢林]は“入らずの森”と言われる禁足地で、森が音を立てると海鳴り小坊主(化け物)の仕業とされる『日本の伝説12 加賀・...
加賀

若宮八幡宮(石川県白山市)

わかみやはちまんぐう2つの日輪(太陽)が現れたためそれを射るよう、鎌倉将軍の命が富樫氏(武家)に出た家臣の山上新保介(武人)は鶴岡八幡宮に参籠して霊夢を得て、一方の日輪を射落とした夢告]に従い、一夜で森(叢林])が出現した地(一夜作り伝説)...
広島廿日市

多家神社(広島県府中町)

たけじんじゃ別名・埃宮(えのみや)神武東征の途中に一行が立ち寄り、しばらく滞在した地とされる上陸した神武天皇が土地の者に対して「誰であるか」と尋ねたことから名付けられた誰曽廼森(叢林)がある旧社地には神武天皇の腰掛け石が残されている『日本の...
尾張

十五の森跡(愛知県春日井市)

じゅうごのもりあと明応3年(1494年)、毎年起こる川の氾濫に対し「15歳となる娘を龍神の生贄にすべし」との占い師の言に従ったくじで庄屋の娘が人柱となり、箱ごと土手に埋められた後、水害は収まった埋められた地は叢林となり、“十五の森”と呼ばれ...
東讃

生駒神社(香川県さぬき市)

いこまじんじゃ通称「甚助さん」引田城主であった生駒甚助(戦国武将)は、大坂夏の陣で敗れて讃岐のこの地に逃れたが、追っ手に討たれた討たれた場所に神社が建てられ、その森(叢林)に馬に乗って入ると祟りがあるとされた『日本の伝説5 讃岐の伝説』(角...