名石

西毛

宝積寺 天狗の腹切り岩(群馬県甘楽町)

ほうしゃくじ てんぐのはらきりいわ小幡家の内紛の折、この寺でも戦闘(戦国の戦い)があり、巖空坊覚禅という巨体の僧侶が応戦した多勢に無勢となった時に覚禅はこの石(名石)の上で切腹して果てたことから名が付いた(怪力伝説)『日本の伝説27 上州の...
西毛

高崎神社 立石(群馬県高崎市)

たかさきじんじゃ たていしかつて高崎を治めていた和田氏が愛でたとされる3つの石、“和田の三石”と呼ばれる名石の1つ日本武尊が休憩したとも、空海が腰掛けたとも言われる(腰掛け石)『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.97群馬県高崎市 ...
石見

坊主岩(島根県吉賀町)

ぼうずいわ吉賀川(河川)の真ん中にある石(名石)近くの寺の僧侶が肉食したと疑われ、箸を川に流して身の潔白を証明しようとした箸は川の流れに逆らって上流に流れたため、肉食したとされ、僧はやむなくこの石から川に入水したこの故事より一帯は法師淵と呼...
出雲

弁慶の立岩(島根県松江市)

べんけいのたていわ?高さ約2mの、草叢に立つ大石幼少(一説では5歳の頃)の弁慶が力試しのために、ここまで抱えて移動させた後で立ち上げた石(名石:怪力伝説)『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.28島根県松江市 長海町
北薩

和睦石(鹿児島県薩摩川内市)

わぼくいし豊臣秀吉が泰平寺を島津征討の本陣としていたところ、住職の宥印法師(名僧)が和睦を斡旋したここで島津義久(戦国大名)と対面して和睦したことを記念して大小2つの庭石を残した(名石)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.73鹿...
峡南

円蔵院 百石石(山梨県南部町)

えんぞういん ひゃっこくいし本堂裏庭にある名石領主であった穴山信友(戦国武将)が、飢饉で米100石を村人に給する際に、富士川の河原から石を運ばせた(慈善事業)『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)p.101山梨県南部町 南部
峡南

懸腰寺 法論石(山梨県富士川町)

けんようじ ほうろんせきこの地に巡錫していた日蓮がこの石に腰掛けて法話をおこなっていた(腰掛け石)これを聞いた妙法寺の善智法印が法論を仕掛けたが、分が悪くなった法印は法力でこの大石を浮揚させたが、日蓮はこれを止めて逆に降ろせなくさせ、法印の...
峡北峡中

泣き石(山梨県甲斐市)

なきいし新府城を追われた武田勝頼に従った夫人が、ここで振り返り燃える城を見て涙を流した(落城伝説)同時にこの石も涙を流して泣き、その跡が残っている(名石)岩の裂け目から水が流れていた(湧水)が、鉄道敷設により移動、水脈が断たれたとのこと『日...
峡北峡中

虎御前の鏡立石(山梨県南アルプス市)

とらごぜんのかがみたていし曾我十郎の愛妾であった虎御前はこの地の出身とされ、縁あって養女となって大磯へ赴いた曾我兄弟の仇討ち後は故郷に戻り、この地で生涯を終えた虎御前がこの石に鏡を立てて化粧をした(名石)『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川...
郡内

留守ヶ岩(山梨県富士河口湖町)

るすがいわ大石村大火の復旧工事でやって来た幸右衛門という大工がおるすという娘と恋仲になった工事が終わり、対岸の村に住む幸右衛門会いたさに、おるすはたらい舟に乗って毎夜湖を渡った(愛着執心)100日目の夜は嵐で、来ないだろうと幸右衛門は目印の...