地名の由来

武雄多久

女山峠(佐賀県多久市)

おんなやまとうげ借金の形に父親に売り飛ばされたおつるは遊女となり、子を孕んだために店を逃げ出して、峠を根城にして盗賊となった子を育てながら盗賊を続け、最後の仕事として老人を襲ったが、それは実の父親であった「殺されても良い」と言う父におつるが...
武雄多久

柴折峠(佐賀県多久市)

しばおりとうげ別名・志久峠天正元年(1573年)龍造寺隆信(戦国大名)と後藤貴明(戦国武将)が戦い、後藤方が志久峠近くに陣を構えた龍造寺方が野田與七郎、後藤方が岩永八郎右衛門を斥候に出したが、峠で遭遇して與七郎が討ち取られた與七郎の遺骸はし...
武雄多久

鬼の鼻山(佐賀県多久市)

おにのはなやま標高435mの山東の山頂が額に、西の山頂が鼻に見えることから名が付いた(地名の由来)このあたりを荒らし回っていた鬼は「日本一の山を築きたい」と願っていて、天山の神は「一夜で山が造れたら村を差し出す」と約束した鬼は一夜で山を築こ...
武雄多久

和泉式部宝篋印塔(佐賀県嬉野市)

いずみしきぶほうきょういんとう和泉式部の墓と伝わる宝篋印塔塩田の長者の大黒丸夫婦は子がないため、福泉禅寺に子授の祈願をおこなったところ、裏山に鹿が生んだ女児がいたので我が子として育てた(生誕伝説)女児は9歳になるまで長者の許で育てられ、その...
佐賀鳥栖

浮盃金立神社 徐福上陸地(佐賀県佐賀市)

ぶばいきんりゅうじんじゃ じょふくじょうりくち不老不死の仙薬(薬草)を求めて秦から来訪した徐福が最初に上陸した場所に建つ神社海岸まで船で来た徐福は、海に盃(酒器)を浮かべて良地を占いし、それが流れ着いた場所から上陸し浮盃と名付けた(地名の由...
佐賀鳥栖

與止日女神社 大楠(佐賀県佐賀市)

よどひめじんじゃ おおくす熊襲(隼人熊襲)の首領・川上梟帥討伐に赴いた日本武尊が、この地に生えた楠の大木を見て「この国は栄(さか)の国」と言い、佐賀の地名の由来となった明国の名僧・如定はこの楠の木を見て「大唐でも見られない巨木」と賞し、肥前...
佐賀鳥栖

為朝の池(佐賀県佐賀市)

ためとものいけ高木八幡宮の南側門前にある小池源為朝がこの地に陣を張っていたところ、池に蛙が集まって騒々しいぐらい鳴いた怒った為朝が「やかましい」と一喝するとたちどころに鳴き止み、以後この池では一切声を出さなくなった(音止伝説)ことから名が付...
佐賀鳥栖

卒塔婆の堰(佐賀県佐賀市)

そとばのせき天明の頃(1781~1788年)、鳴瀬川の堰は大雨のたびに決壊するため困り果てていたある時盲目の旅の僧(不具者)が通りがかり「履物の緒が右撚りと左撚りの者を人柱にするとよい」と告げたが、それに該当するのは僧だけであったそのため僧...
佐賀鳥栖

脊振山(佐賀県神埼市)

せふりさん天竺から弁財天を乗せて龍馬がこの山の上空まで来た時、天に向かって3度いななき、背びれを打ち振ったことから脊振山の名が付いた(地名の由来)乙天護法善神像を馬の背に乗せて山上の寺まで運ぶ際、馬が背を振りながら登ったことから名が付いた栄...
佐賀鳥栖

蛇取橋(佐賀県神埼市)

じゃとりばしかつて長さ6丁(約650m)もの大蛇がこの地を荒らし回っていたが、村人がこれを退治した(化け物退治)退治を話し合った“野寄”、退治に使う柏を集めた“柏原”、葉を燻した“伏部”、蛇が逃げ回った“蛇貫堤”、蛇を討ち取った“蛇取橋”と...