地名の由来

川越飯能

堀兼の井(埼玉県狭山市)

ほりかねのい摺鉢状に穴を掘って造られた古代の井戸歌枕として有名で、掘るのが難しいことから“ほりかね”と呼ばれ、地名の由来となった『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.67埼玉県狭山市 堀兼
行田春日部

総願寺(埼玉県加須市)

そうがんじ重篤な病となった58代光孝天皇が智証大師(名僧)に命じて彫らせた不動明王(仏像)を祀る関東に移された後に水害によって像が流されこの地に辿り着いたため、ここに堂宇を建てて祀った(創建伝説)不動明王を祀ったことから不動岡の名が付いた(...
さいたま川口

安養寺八幡神社(埼玉県鴻巣市)

あんようじはちまんじんじゃ安養寺の八幡神と、川向こうの市ノ縄の八幡神とが不仲となって争いをした安養寺は白旗を立てて攻めたが、市ノ縄は松の枝を振り回し、枝が目に当たった安養寺が敗れた安養寺の境内では松を植えることは禁忌とされ、また神社周辺の土...
さいたま川口

鴻神社(埼玉県鴻巣市)

こうじんじゃこの地にはかつて“樹の神”(木本)と呼ばれる大木があり、供物を忘れると祟りをなしていたこの大木に鸛が巣を作って雛を育ているところへ蛇が襲いかかったが、逆に頭をつつかれ殺されたこれ以来“樹の神”が祟りをなすことはなくなり、鸛にちな...
行田春日部

最勝院 春日部重行の首塚(埼玉県春日部市)

さいしょういん かすかべしげゆきのくびづか新田義貞の部将であった春日部重行(南北朝の武将)は春日部郷の地頭となるが、京都での戦いで敗死した最勝院の境内にある墳丘が重行の首塚であるとされる春日部市の名称は重行の名から取られている(地名の由来)...
西毛

与一八幡社(群馬県甘楽町)

よいちはちまんしゃ那須与一が幼少時に滞在した土地とされ、与一を祀る神社が建てられた祠のある一帯は那須与一自身あるいは兄の所領と言われ、現在も“那須”の地名が残る(地名の由来)『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.123群馬県甘楽町 ...
西毛

乃久里神社(群馬県上野村)

のぐりじんじゃ日本武尊が東征からの帰還の折、この地で弟橘媛の遺髪を家臣に祀らせた御神体は33尋の長さの毛髪で、ある時疫病が流行ったためそれを川に流したことから“神流”の地名の由来となった『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.119群...
西毛

投石峠(群馬県神流町)

なげいしとうげ西御荷鉾山と東御荷鉾山の間にある峠空海によって退治された鬼が、武器として使っていた石棒(武具)をここから投げ放った(投げ石:地名の由来)石が落ちた場所は“鬼石”という地名となった『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.1...
西毛

霧積温泉(群馬県安中市)

きりづみおんせん傷ついた犬が湯浴みをしているのを猟師が見て発見された温泉上の伝説から“犬の湯(入りの湯)”と呼ばれていたが、霧が多いため霧積温泉と名を変えた(地名の由来)『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.111群馬県安中市 松井...
西毛

若宮八幡宮(群馬県高崎市)

わかみやはちまんぐう東国遠征した源頼義・源義家親子がこの地で戦勝祈願をして、神託に従って6月18日に元日(正月)の儀式をおこなった儀式を終えると夏の土用にもかかわらず雪が降ったため、義家の年齢を14歳とした(天変地異)この故事より村の名を“...