武雄多久小城

原巻坂(佐賀県多久市)

はばらざか山犬原から多久原へ向かう道筋にある急坂豊臣秀吉が名護屋城へ向かう途中、この坂で腹痛を起こし、布(織布)を腹に巻いてしのいだこのことから腹巻坂と呼ばれ、原巻坂となったとされる(地名の由来)坂の登り口を“茶屋の原”と言い、龍造寺隆信(...
四万十須崎

化粧坂(高知県檮原町)

けしょうざか坂の向こうに水田があり、往来を通る者はそこに影を映して身なりを整えたとされる(地名の由来)かつてこの坂に3mあまりの巨人が水田に姿を映していたとの噂が流れ、通る者がいなくなった『日本の伝説22 土佐の伝説』(角川書店)p.68高...
生駒葛城

暗峠(奈良県生駒市)

くらがりとうげ神功皇后が三韓征伐に出発する際、一番鶏があまりに早く鳴いたため、峠に着いても夜が明けていなかった道鏡が峠で和気清麻呂を暗殺しようとしたが、激しい雷雨のため周囲が暗くなって、清麻呂は難を逃れた峠道があまりにも急な坂であるため、馬...
橿原桜井天理

化粧坂(奈良県桜井市)

けはいさか旧伊勢街道にある急坂途中におはぐろ石という巨石があり、倭姫命を始め伊勢へ詣でる女御がここで服装の乱れを直し、化粧をするなど身なりを整えた(地名の由来)『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.86奈良県桜井市 初瀬
橿原桜井天理

一升坂(奈良県高取町)

いっしょうざか高取城築城の折に石垣を運んだが、急坂のところで立ち往生した普請奉行が「一日あたり米一升給金に加増する」と人夫を励まして運び上げた(地名の由来)『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.63奈良県高取町 上子島
川越所沢飯能

来迎寺 阿弥陀三尊像(埼玉県所沢市)

らいごうじ あみださんぞんぞう元は藤原秀衡の持仏であったが、源頼朝が所望したため鎌倉まで運ばせた途中の坂で急に車が動かなくなったので引き返し、この地に留まることになった(創建伝説:車返しの弥陀)ある老夫婦の許へ旅の僧が一夜の宿を求めたが、そ...
身延市川三郷

輪鳴り地蔵(山梨県身延町)

わんなりじぞう武田信玄がある坂で休憩し、地蔵が現れる夢を見たので、近くの石に“地蔵尊”と書いて供養した後に今川勢が攻めた時、坂にある木々が武田軍に見え、異様な唸り声を上げたので撤退した(声の怪)唸り声の正体が地蔵に懸けてある金の輪が鳴ったこ...
大月都留吉田

座頭転がし(山梨県上野原市)

ざとうころがし2人の座頭(不具者)が連れ立って山の坂道を歩いていた先頭の者の声を頼りに後の者が付いて行ったが、道が曲がっていることを知らず直進して転落死した甲州街道の難所として名が付いた(地名の由来)『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店...
八尾河内長野

善根寺春日神社(大阪府東大阪市)

ぜんこんじかすがじんじゃ境内には、神武東征で大和入りをして最初に戦った(戦乱)孔舎衙(くさか)の古戦場碑(石碑)がある神社の前の坂が孔舎衙坂であると比定される神社の祭礼として、東征の折に神武天皇が村人に酒を振る舞われた故事にちなみ、酒を醸造...
八尾河内長野

胸切坂 胸切地蔵(大阪府河内長野市)

むなぎりざか むなぎりじぞう堺の長者の娘が紀州へ嫁ぐため、輿に乗ってこの坂に差し掛かった時、新郎の急死が伝えられた娘は決して実家へ戻らぬ決心であったため、この場で胸を懐剣で刺して自害した(子女受難)このためこの坂を胸切坂と呼ぶようになった(...