墓所

さいたま川口

普門院 小栗上野介首塚(埼玉県さいたま市大宮区)

ふもんいん おぐりこうずけのすけくびづか烏川河原で処刑された小栗上野介(幕臣)の首を、小姓の銀之介が故郷の大宮に持ち帰り埋葬した上野介は逆賊とされたため、首塚(墓所)には無銘の石が置かれている『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.2...
中毛

静御前の墓(群馬県前橋市)

しずかごぜんのはか奥州へ逃れた源義経の後を追ってきた静御前は当地で病死して葬られた(墓所)残された従者はこの地に土着し、“静・閑・志塚”姓の家が末裔とされる(姓名の由来)『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.42群馬県前橋市 岩神町
石見

大喜庵(島根県益田市)

たいきあん戦のない場所として移り住んだ雪舟が亡くなった地で、墓所がある雪舟が大山の井戸の水を持ち帰り、水神に供えて設けた硯井戸がある『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.106島根県益田市 乙吉町
石見

浄光寺(島根県江津市)

じょうこうじ仏の教えに従い、善行を重ねた妙好人・善太郎(高徳の人)を顕彰する(墓所)盗みの疑いを掛けられても、その相手に草餅を持たせてやり、犯人を改心させたという逸話があり、有福温泉の銘菓(菓子)に名が残る『日本の伝説48 出雲・石見の伝説...
出雲

出雲阿国の墓(島根県出雲市)

いずものおくにのはか名古屋山三と恋仲になって京都へ駆け落ち、京都四条河原で歌舞伎踊りを始め、それを流行らせた(芸能者)名古屋山三の死後はこの地に戻り、尼となって連歌(和歌)をよくした暮らしていた連歌寺に墓所があったが、廃寺のため現在地に移動...
出雲

神門寺(島根県出雲市)

かんどじ空海がこの地で「いろは四十八文字(文書)」を著し、出雲大社へ参籠の後にこれを広めたとされるその故事から別名・いろは寺とも称する境内に塩冶判官高貞(南北朝の武将)の墓所がある『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.46島根...
出雲

菅原天満宮 野見宿禰の墓(島根県松江市)

すがわらてんまんぐう のみのすくねのはか野見宿禰は播磨国で亡くなったが、出雲の人がその地に埋葬した後、分骨を持ち帰った菅原是善が祖先の野見宿禰の墓所を詣でた時、案内役の娘を気に入ってそばに召したその後娘は是善との間に生まれた子を伴って京へ上...
北薩

とっぽどんの墓(鹿児島県阿久根市)

とっぽどんのはかポルトガル人船長(船乗り)のアッホンソ・ヴァス(西洋人)の墓所集落の未亡人と懇ろとなったが、未亡人宅にいたところを海賊に急襲され殺害された『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.81鹿児島県阿久根市 赤瀬川
北薩

藤川天神 臥龍梅(鹿児島県薩摩川内市)

ふじかわてんじん がりゅうばい大宰府に左遷となった菅原道真は、病死を装って藤原氏の手から逃れ、この地で余生を送った(生存説)道真お手植えとされる梅の木は、老木になると枝が傾いて地面に這うように広がるため臥龍梅と呼ばれる一説では、道真が食べた...
鹿児島霧島

豊臣秀頼の墓(鹿児島県鹿児島市)

とよとみひでよりのはか大坂の陣から逃れた豊臣秀頼が島津氏を頼って落ち延び(生存説)、谷山で生涯を終えたとされる墓所近所で金を払わず飲食をしていたため、無銭飲食のことを“谷山の食い逃げ”と呼んだ(俚諺)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書...