武雄多久専称寺 核割れ梅(佐賀県多久市) せんしょうじ さねわれうめ明応6年(1497年)に少弐政資(戦国大名)は大内氏に敗れ退却し、さらに多久氏の離反により、専称寺で自害した自害の直前、腰に付けた梅干し(食品食材)を口にし、種を噛み砕いて地面に捨てたその後捨てた種から梅の木が生長... 2026.01.29武雄多久
武雄多久持永盛秀の墓(佐賀県小城市) もちながもりひでのはか持永氏が室町時代に造った持永城本丸跡に残る墓所持永盛秀は戦国武将で、千葉氏の下で龍造寺家に属して武功を挙げたこの墓に詣でると、瘧(熱病)が治るとされた(信仰の墓碑:病気平癒)『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p... 2026.01.19武雄多久
武雄多久天山 阿蘇惟直の墓(佐賀県小城市) てんざん あそこれなおのはか多々良浜の戦い(南北朝の戦い)で南朝方が敗れ、南朝の阿蘇惟直(南北朝の武将)は負傷しつつも肥前まで撤退したしかし敵に退路を断たれたためこの地で自刃し、故郷の阿蘇の煙が見える場所に墓を建てるよう遺言したそのため当地... 2026.01.18武雄多久
佐賀鳥栖法勝寺 俊寛僧都の墓(佐賀県佐賀市) ほっしょうじ しゅんかんそうずのはか鹿ヶ谷事件で鬼界ヶ島に流罪となったうち、俊寛だけが赦免されなかったしかし赦免された藤原成経・平康頼と共に島を出て、成経の舅・平教盛(平氏)の所領であった肥前嘉瀬まで同行した俊寛はこの地に留め置かれ、荒木乗... 2026.01.18佐賀鳥栖
佐賀鳥栖八ツ並長者の碑(佐賀県基山町) やつなみちょうじゃのひ周辺を治めていた八ツ並長者の屋敷跡に建てられた石碑碑の南西にある“剣塚”が長者の墓所とされる近くの竹藪に生える躑躅の木の枝を折ると重病になるとされる(発病)近くの竹藪の中にある石塔は長者の膳が埋めてある塚とされる『日本... 2025.12.15佐賀鳥栖
室戸安芸由里の墓(高知県北川村) ゆりのはか野川街道・岩佐番所の娘の木下由里は、佐喜浜の庄屋に嫁ぎ男児を生んだが、病のため実家に戻された実家で病死した由里は夜な夜な街道を下って佐喜浜まで行き、乳飲み子を育てた(親子の情愛)幽霊の由里は、庄屋宅に貼られた御札のため入れず、通り... 2025.12.05室戸安芸
奈良宇陀十兵衛杉(奈良県奈良市) じゅうべえすぎ西国大名の動向を探るため柳生十兵衛(剣豪)が出立する時、先祖の墓所に植えた杉の木が生長したもの昭和48年(1973年)に2度にわたる落雷を受け、現在は立ち枯れた状態で立つ『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.69奈良県... 2025.11.17奈良宇陀
磯城高市石舞台古墳(奈良県明日香村) いしぶたいこふん盛土が失われて石室が露出した状態の古墳蘇我馬子の墓所とされる狐が女に化けて、この巨石の上で踊ったことから“石舞台”の名が付いた(地名の由来)『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.59奈良県明日香村 祝戸 2025.11.15磯城高市
磯城高市雷丘(奈良県明日香村) いかづちのおか雄略天皇の近侍・小子部栖軽(廷臣)は、天皇と后のいる寝所に誤って入ったため、雷を捕らえる命を受けた栖軽は丘に落ちてきた雷神を捕らえて天皇に差し出し、天皇は雷神を解放した栖軽の死後、雷を捕らえたとの墓標が丘に立ち、怒った雷神が墓... 2025.11.15磯城高市
熊谷深谷陽雲寺 畑児塚(埼玉県上里町) よううんじ はたこづか?新田四天王・畑時能(南北朝の武将)は越前で討死したが、従者の児玉光延が首級を持ち帰った光信が亡くなると時能の墓に一緒に葬られ、墓所は両者の名を採って畑児塚と呼ばれた『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.109... 2025.10.26熊谷深谷