墓所

出雲

神門寺(島根県出雲市)

かんどじ空海がこの地で「いろは四十八文字(文書)」を著し、出雲大社へ参籠の後にこれを広めたとされるその故事から別名・いろは寺とも称する境内に塩冶判官高貞(南北朝の武将)の墓所がある『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店)p.46島根...
出雲

菅原天満宮 野見宿禰の墓(島根県松江市)

すがわらてんまんぐう のみのすくねのはか野見宿禰は播磨国で亡くなったが、出雲の人がその地に埋葬した後、分骨を持ち帰った菅原是善が祖先の野見宿禰の墓所を詣でた時、案内役の娘を気に入ってそばに召したその後娘は是善との間に生まれた子を伴って京へ上...
北薩

とっぽどんの墓(鹿児島県阿久根市)

とっぽどんのはかポルトガル人船長(船乗り)のアッホンソ・ヴァス(西洋人)の墓所集落の未亡人と懇ろとなったが、未亡人宅にいたところを海賊に急襲され殺害された『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.81鹿児島県阿久根市 赤瀬川
北薩

藤川天神 臥龍梅(鹿児島県薩摩川内市)

ふじかわてんじん がりゅうばい大宰府に左遷となった菅原道真は、病死を装って藤原氏の手から逃れ、この地で余生を送った(生存説)道真お手植えとされる梅の木は、老木になると枝が傾いて地面に這うように広がるため臥龍梅と呼ばれる一説では、道真が食べた...
鹿児島霧島

豊臣秀頼の墓(鹿児島県鹿児島市)

とよとみひでよりのはか大坂の陣から逃れた豊臣秀頼が島津氏を頼って落ち延び(生存説)、谷山で生涯を終えたとされる墓所近所で金を払わず飲食をしていたため、無銭飲食のことを“谷山の食い逃げ”と呼んだ(俚諺)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書...
大隅

石坂牛之助の墓(鹿児島県曽於市)

いしざかうし(ぎゅう)のすけのはか?日向国の修験者(行者山伏:あるいは都城の藩士)で、火を操る術を使ったとされるそのことから墓所が火伏せ(火除け)の神として祀られている(信仰の墓碑)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.34鹿児島...
大隅

桑山刑部・小少将の墓(鹿児島県曽於市)

くわやまぎょうぶ・こぢしょうのはか北郷時久(戦国武将)の家臣・桑山刑部と同家の侍女であった小少将は恋仲となった身分違いの恋のため2人は駆け落ちするが追っ手に見つかり、共に自害して果て、同じ地所に墓所が建てられた(悲恋伝説)2人に親身になった...
大隅

平景清の墓(鹿児島県曽於市)

たいらのかげきよのはか捕らえられた平景清は後に赦免され日向国に土地を与えられ隠棲したその後、柳井谷の地へ移ってここで没したことから墓所がある眼病に効くとのことから、墓石を削って服用された(信仰の墓碑)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書...
峡北峡中

御所五郎丸の墓(山梨県南アルプス市)

ごしょごろうまるのはか源頼朝の近侍(源平の武将)で、曾我兄弟の仇討ちの時、曾我五郎を捕らえた捕らえる際に女と見せかけていたことを咎められ、野牛島の地に流されて没したことから墓所が置かれた『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)p.60日本...
峡東

板額塚(山梨県笛吹市)

はんがくづか越後で乱を起こした城資盛の叔母で、弓の名手とされた板額御前(女傑)は、生け捕りとなったその後甲斐の浅利与一(源平の武将)が妻として迎え、この地で没した(墓所)『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)p.52山梨県笛吹市 境川町...