墓所

河内

▲三谷保桑能の墓(大阪府河内長野市)

みたにほそのうのはか三谷保桑能(豪傑)は平家の落人の子で、弓の名手とされる自分の親を食い殺した怪猫を退治したり、山中で大蛇を退治したなどの伝説が残る(化け物退治:蛇骨は光瀧寺に保管されているらしい)『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p...
河内

潮音寺 衣縫孝女の墓(大阪府藤井寺市)

ちょうおんじ きぬぬいこうじょのはか衣縫造金継の娘は、父母の墓守として一生嫁ぐことがなく、孝女(孝子)として顕彰された衣縫塚古墳(允恭天皇陵陪塚)の上にあった衣縫孝女碑(顕彰碑)も墓所に移設されている『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)...
和泉

橘逸勢父娘の墓(大阪府岬町)

たちばなのはやなりおやこのはか罪を得て客死した橘逸勢の遺骸を娘が貰い受け、故郷に葬った娘は父の墓所のそばに庵を建てて生涯供養した(親子の情愛)逸勢の墓と共に、孝子橘氏墓がある『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.63大阪府岬町 孝子
和泉

捕鳥部万の墓(大阪府岸和田市)

ととりべのよろずのはか物部守屋の家来(武人:廷臣)で、守屋の死後に追っ手の兵を一人で迎え撃ち、最後に自害したその死後に逆臣として八つ裂きにされるところを、飼い犬の忠義で罪を赦され墓が建てられた(墓所:忠犬伝説)『日本の伝説8 大阪の伝説』(...

南宗寺 徳川家康の墓(大阪府堺市堺区)

なんしゅうじ とくがわいえやすのはか大坂夏の陣(大坂の陣)の茶臼山の戦いで負傷した徳川家康は亡くなり、この地に埋葬された墓所『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.41日本伝承大鑑:大阪府堺市堺区 南旅篭町東
大阪

北畠顕家の墓(大阪府大阪市阿倍野区)

きたばたけあきいえのはか北畠公園内にある大名塚と称し、南朝武将・北畠顕家の墓所とされる享保年間(1716~1736年)に儒学者の並川誠所が提唱し設けられた『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.33大阪府大阪市阿倍野区 王子町
大阪

崇禅寺(大阪府大阪市東淀川区)

そうぜんじ正徳5年(1715年)に起こった、大和郡山藩の遠城兄弟が生田伝八郎の返り討ちに遭った崇禅寺馬場の仇討ちの舞台ここで返り討ちに遭った遠城兄弟の墓所がある墓の横には、遠城兄弟の供養に訪れた身内の者が挿した杖が成長した“みよりの竹”(竹...
奥能登

平時忠の墓(石川県珠洲市)

たいらのときただのはか源氏に敗れ配流された平時忠(平氏)の墓所能登に着いた一行をこの地へ道案内した烏は、都から所持してきた名刀・烏丸(刀剣)の魂とされる『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.131石川県珠洲市 大谷町
能登南

御祖母様の墓(石川県七尾市)

おんばさまのはか泰澄の弟子と言われる臥行者(仙人)の母の墓所この地区に母がかつて住んでおり、この祖母ヶ浦地区の開拓者として尊崇されている(地名の由来)『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p,102石川県七尾市 能登島祖母が浦町
能登南

酒井惣左衛門の墓(石川県中能登町)

さかいそうざえもんのはか隣村との境界争い(訴訟)の際、我が村の土は食べられると主張し、実際に食い競べをして勝利した(名士)を葬った墓(墓所)『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.96石川県中能登町 小竹