宝篋印塔

東毛

安勝寺 光明真言金亀宝篋印塔(群馬県板倉町)

あんしょうじ こんこうしんごんきんきほうきょういんとう漁夫が沼に光るもの(怪光)を見つけ、引き上げると石の亀(石像)であった宝暦7年(1757年)の洪水の時に、再び石亀が光り輝き動き出したため(動く絵や像)、宝篋印塔を上に乗せ動かなくした『...
東毛

牛之塔(群馬県太田市)

うしのとう地頭の薗田成家(智明上人:名僧)が法然上人の教えを受け、京より阿弥陀如来像(仏像)を牛に運ばせたこの地に来たところ、急に牛が倒れて死んだため供養した(鳥獣墓)啓禅という僧が鎌倉から宝篋印塔を牛に運ばせていたが、この地で牛が死んだた...
北摂

無二寺 宝篋印塔(大阪府池田市)

むにじ ほうきょういんとう境内に宝篋印塔があり、和泉式部の供養塔とされる和泉式部は藤原保昌の妻となって摂津国へ赴いた鹿の鳴き声を聞いた夫が狩りに出ようとした時に和歌を詠んで諫め、保昌は以降狩りへ行かなくなった『日本の伝説8 大阪の伝説』(角...
北摂

薬師堂 光明皇后の墓(大阪府箕面市)

やくしどう こうみょうこうごうのはか薬師堂の境内にある宝篋印塔は、かつてこの地にあった豊楽寺を建立した光明皇后の供養墓とされる豊楽寺は、光明皇后の命で行基が開いた大寺とされる『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.116大阪府箕面市 下...
奥能登

鎌倉屋敷(石川県穴水町)

かまくらやしき正式名称は明泉寺石塔群在地明泉寺境内内にある敷地の中央にある宝篋印塔が源頼朝の墓(供養塔)とされることから名が付いた『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.114石川県穴水町 明千寺
備後

イコーカ山古墳 宝篋印塔(広島県福山市)

いこーかやまこふん ほうきょういんとう古墳の西側にある宝篋印塔は、足利義昭の墓(墓所)であると言われる近くの池の埋め立てに失敗した池奉行(藩士)がこの古墳の上で自決し、その墓とも言われる『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.94広島...
備後

廃明覚寺跡宝篋印塔(広島県世羅町)

はいみょうかくじあとほうきょういんとう曾我兄弟の愛妾であった虎御前と化粧坂少将(伝承の女性)はこの地で亡くなり、それを供養する宝篋印塔とされる『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.82広島県世羅町 赤屋
安芸

吾妻子の滝(広島県東広島市)

あづまこのたき源頼政が敗死し、安芸国へ逃げた愛妾の菖蒲御前は、一時期この滝に身を潜めたこの間に、頼政との間に出来た種若丸が亡くなり、遺体をこの地に埋めた後に観音堂に宝篋印塔を安置した(子女受難)滝の名は、我が子の死を悲しんだ菖蒲御前が詠んだ...
豊前国東

文殊仙寺 宝篋印塔(大分県国東市)

もんじゅせんじ ほうきょういんとう国東半島で最大の宝篋印塔高崎藩士に仕えていた男が主人の妻と密通し(不義密通)、主人を殺して失踪、さらに逃亡中にその妻を殺した男は改心し、文殊仙寺で浄覚(僧侶)と名乗ると、宝篋印塔造立を始めたその後藩士の息子...