宝篋印塔

武雄多久小城

和泉式部宝篋印塔(佐賀県嬉野市)

いずみしきぶほうきょういんとう和泉式部の墓と伝わる宝篋印塔塩田の長者の大黒丸夫婦は子がないため、福泉禅寺に子授の祈願をおこなったところ、裏山に鹿が生んだ女児がいたので我が子として育てた(生誕伝説)女児は9歳になるまで長者の許で育てられ、その...
佐賀鳥栖

大興善寺(佐賀県基山町)

だいこうぜんじ境内に平重盛の遺髪(毛髪)を埋めた石塔があるこのことから山号を“小松山”とし、周辺の地名も“小松”となった(地名の由来)享和2年(1802年)、豪潮律師(名僧)が全国に84000の宝篋印塔を建てる大悲願を立てたその最初の塔を大...
桐生太田館林

安勝寺 光明真言金亀宝篋印塔(群馬県板倉町)

あんしょうじ こんこうしんごんきんきほうきょういんとう漁夫が沼に光るもの(怪光)を見つけ、引き上げると石の亀(石像)であった宝暦7年(1757年)の洪水の時に、再び石亀が光り輝き動き出したため(動く絵や像)、宝篋印塔を上に乗せ動かなくした『...
桐生太田館林

牛之塔(群馬県太田市)

うしのとう地頭の薗田成家(智明上人:名僧)が法然上人の教えを受け、京より阿弥陀如来像(仏像)を牛に運ばせたこの地に来たところ、急に牛が倒れて死んだため供養した(鳥獣墓)啓禅という僧が鎌倉から宝篋印塔を牛に運ばせていたが、この地で牛が死んだた...
高槻茨木池田

信田の森(大阪府能勢町)

しのだのもり安倍保名は後年病を得て(あるいは白狐を助けた時の古傷を治すため)、この地を領有する藤原仲光(地方豪族)を頼り、愛妾・葛葉(狐)と共に余生を送った保名の死後、仲光が和泉の信太明神を勧請した叢林には信太明神と保名の墓(宝篋印塔)があ...
高槻茨木池田

無二寺 宝篋印塔(大阪府池田市)

むにじ ほうきょういんとう境内に宝篋印塔があり、和泉式部の供養塔とされる和泉式部は藤原保昌の妻となって摂津国へ赴いた鹿の鳴き声を聞いた夫が狩りに出ようとした時に「ことわりや いかでか鹿の 鳴かざらん 今宵限りの 命と思へば」と和歌で諫め、保...
高槻茨木池田

薬師堂 光明皇后の墓(大阪府箕面市)

やくしどう こうみょうこうごうのはか薬師堂の境内にある、正平7年(1352年)に造られたの宝篋印塔は、かつてこの地にあった豊楽寺を建立した光明皇后の供養墓とされる豊楽寺は、光明皇后の命で行基が開いた大寺とされる『日本の伝説8 大阪の伝説』(...
輪島珠洲

鎌倉屋敷(石川県穴水町)

かまくらやしき正式名称は明泉寺石塔群在地(墓地)明泉寺から300mほど離れた飛び地境内の中央奥にある宝篋印塔が源頼朝の墓(供養塔)とされることから名が付いた(地名の由来)『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.114石川県穴水町...
福山尾道三原

イコーカ山古墳 宝篋印塔(広島県福山市)

いこーかやまこふん ほうきょういんとう直径10mの円墳で、二重の円筒埴輪列がある古墳の西側にある宝篋印塔は室町時代の作で、足利義昭の墓(墓所)であると言われる近くの池の埋め立てに失敗した池奉行(藩士)がこの古墳の上で自決し、その墓とも言われ...
福山尾道三原

廃明覚寺跡宝篋印塔(広島県世羅町)

はいみょうかくじあとほうきょういんとう南北朝~室町時代の特徴を持つ、大型の宝篋印塔曾我兄弟の愛妾であった虎御前と化粧坂少将(伝承の女性)はこの地で亡くなり、それを供養したとされる『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.82広島県世羅町...