武雄多久鬼の鼻山(佐賀県多久市) おにのはなやま標高435mの山東の山頂が額に、西の山頂が鼻に見えることから名が付いた(地名の由来)このあたりを荒らし回っていた鬼は「日本一の山を築きたい」と願っていて、天山の神は「一夜で山が造れたら村を差し出す」と約束した鬼は一夜で山を築こ... 2026.01.29武雄多久
武雄多久高野神社 矢の根石(佐賀県多久市) たかのじんじゃ やのねいし境内にある六地蔵塔(石塔)の竿石に、直径1.5cmの鉄鏃(矢尻)が射込まれている源為朝が黒髪山の大蛇を退治した際、鬼の鼻山から矢を放ったところ、大蛇に当たったが刺さらず、跳ね返ってこの石に突き刺さった矢尻の部分が抜... 2026.01.29武雄多久
武雄多久多良岳(佐賀県太良町) たらだけ標高988mの山で、山頂に太良嶽神社上宮があるかつて太良嶽神社の神が海を渡ってこの地に来た時、船が沈みそうになり、海老(甲殻類)に助けてもらったこの故事から、地元の者は多良岳に登る時は海老を食べてはいけないとされる(禁忌)『日本の伝... 2026.01.24武雄多久
武雄多久稲佐神社(佐賀県白石町) いなさじんじゃ祭神の五十猛命(記紀神話の神)は父神・素戔嗚尊と共に新羅から九州へ移る際、樹の種を全て持ってきて植えた五十猛命が最初に降り立った場所が、杵島山の北嶺の勇猛山とされる百済の王子・阿佐太子(渡来人)は朝貢後にこの地に滞在して稲佐神... 2026.01.19武雄多久
武雄多久杵島山(佐賀県白石町) きしまやま常陸の筑波山、摂津の歌垣山と共に“日本三大歌垣”として知られる山歌垣は、春と秋に若い男女が集まって飲食しながら歌を詠み合う、求愛の行事歌垣公園には、『万葉集』の「あられふる 杵島が岳を 険しみと 草とりかねて 妹が手をとる」の和歌... 2026.01.19武雄多久
武雄多久天山 阿蘇惟直の墓(佐賀県小城市) てんざん あそこれなおのはか多々良浜の戦い(南北朝の戦い)で南朝方が敗れ、南朝の阿蘇惟直(南北朝の武将)は負傷しつつも肥前まで撤退したしかし敵に退路を断たれたためこの地で自刃し、故郷の阿蘇の煙が見える場所に墓を建てるよう遺言したそのため当地... 2026.01.18武雄多久
武雄多久晴気天山社(佐賀県小城市) はるけてんざんしゃ天山の麓の、3社ある下宮の一つかつて天山を七回りも巻くほどの大蛇が棲んでおり、夜な夜な晴気天山社境内の池の水を飲みに現れたこの池に龍の絵(絵画)を入れたところ、大蛇がそれを見て怒り、嵐となったその年は作物が不作となり(飢饉... 2026.01.18武雄多久
佐賀鳥栖背振山 龍ヶ池(佐賀県神埼市) せふりさん りゅうがいけ脊振山の山頂近くにある池池の底にある岩に「金」の文字が刻まれており(字彫りの石)、龍宮へ通じる門であるとされた役行者がこの中に入ったとも、また修法(宗教儀式)をおこなって弁財天を顕現させたとも旱魃の時に池の水をかき混... 2025.12.25佐賀鳥栖
佐賀鳥栖脊振山(佐賀県神埼市) せふりさん天竺から弁財天を乗せて龍馬がこの山の上空まで来た時、天に向かって3度いななき、背びれを打ち振ったことから脊振山の名が付いた(地名の由来)乙天護法善神像を馬の背に乗せて山上の寺まで運ぶ際、馬が背を振りながら登ったことから名が付いた栄... 2025.12.25佐賀鳥栖
佐賀鳥栖霊仙寺跡 日本茶樹栽培発祥の地(佐賀県吉野ヶ里町) りょうぜんじあと にほんちゃじゅさいばいはっしょうのち建久2年(1191年)に宋から帰国した栄西(名僧)が茶の種を持ち帰り、脊振山にあった霊仙寺石上坊境内で栽培を始め、その製法を教えたとされる(起源伝説)現在も周辺では茶畑が残り、乙護法堂の... 2025.12.25佐賀鳥栖