武雄多久小城

稲佐神社(佐賀県白石町)

いなさじんじゃ祭神の五十猛命(記紀神話の神)は父神・素戔嗚尊と共に新羅から九州へ移る際、樹の種を全て持ってきて植えた五十猛命が最初に降り立った場所が、杵島山の北嶺の勇猛山とされる百済の王子・阿佐太子(渡来人)は朝貢後にこの地に滞在して稲佐神...
武雄多久小城

杵島山(佐賀県白石町)

きしまやま常陸の筑波山、摂津の歌垣山と共に“日本三大歌垣”として知られる山歌垣は、春と秋に若い男女が集まって飲食しながら歌を詠み合う、求愛の行事歌垣公園には、『万葉集』の「あられふる 杵島が岳を 険しみと 草とりかねて 妹が手をとる」の和歌...
武雄多久小城

天山 阿蘇惟直の墓(佐賀県小城市)

てんざん あそこれなおのはか多々良浜の戦い(南北朝の戦い)で南朝方が敗れ、南朝の阿蘇惟直(南北朝の武将)は負傷しつつも肥前まで撤退したしかし敵に退路を断たれたためこの地で自刃し、故郷の阿蘇の煙が見える場所に墓を建てるよう遺言したそのため当地...
武雄多久小城

晴気天山社(佐賀県小城市)

はるけてんざんしゃ天山の麓の、3社ある下宮の一つかつて天山を七回りも巻くほどの大蛇が棲んでおり、夜な夜な晴気天山社境内の池の水を飲みに現れたこの池に龍の絵(絵画)を入れたところ、大蛇がそれを見て怒り、嵐となったその年は作物が不作となり(飢饉...
佐賀鳥栖

脊振山 龍ヶ池(佐賀県神埼市)

せふりさん りゅうがいけ脊振山の山頂近くにある池池の底にある岩に「金」の文字が刻まれており(字彫りの石)、龍宮へ通じる門であるとされた役行者がこの中に入ったとも、また修法(宗教儀式)をおこなって弁財天を顕現させたとも旱魃の時に池の水をかき混...
佐賀鳥栖

脊振山(佐賀県神埼市)

せふりさん天竺から弁財天を乗せて龍馬がこの山の上空まで来た時、天に向かって3度いななき、背びれを打ち振ったことから脊振山の名が付いた(地名の由来)乙天護法善神像を馬の背に乗せて山上の寺まで運ぶ際、馬が背を振りながら登ったことから名が付いた栄...
佐賀鳥栖

霊仙寺跡 日本茶樹栽培発祥の地(佐賀県吉野ヶ里町)

りょうぜんじあと にほんちゃじゅさいばいはっしょうのち建久2年(1191年)に宋から帰国した栄西(名僧)が茶の種を持ち帰り、脊振山にあった霊仙寺石上坊境内で栽培を始め、その製法を教えたとされる(起源伝説)現在も周辺では茶畑が残り、乙護法堂の...
佐賀鳥栖

荒穂神社(佐賀県基山町)

あらほじんじゃ元は基山の山頂に創建されたもので、山頂にある玉々石(磐座)を御神体とする主祭神である五十猛命(記紀神話の神)がこの石に腰を下ろし(腰掛け石)、山に最初の植林をしたとされる境内には3個の“伝説の石”が並ぶ祈願すると子宝に恵まれる...
福岡宗像

城山(福岡県筑前町)

しろやま近辺に九千部山と同じぐらいの大きさ(848m)のウーシト(巨人)がいたある時大きなもっこで土を運んでいた時に棒が折れ、担いでいた土が地面に落ちた落ちた一方が鳥栖の朝日山となり、もう一方が筑前町の城山(花立山)になった(地形の由来)『...
佐賀鳥栖

朝日山(佐賀県鳥栖市)

あさひやま近辺に九千部山と同じぐらいの大きさ(848m)のウーシト(巨人)がいたある時大きなもっこで土を運んでいた時に棒が折れ、担いでいた土が地面に落ちた落ちた一方が鳥栖の朝日山となり、もう一方が筑前町の城山(花立山)になった(地形の由来)...