平家の落人

備後

平家八幡神社(広島県三原市)

へいけはちまんじんじゃ後山の集落を開いた平家の落人が創建した正体がばれることを恐れ、源氏が崇敬する八幡の名称を付けた(名称の由来)『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.84広島県三原市 中之町南後山
広島廿日市

ささらが池(広島県広島市東区)

ささらがいけ平家の落人の少女が池に入水しようとしたのを村長が助け、池のそばに住まわせたその後源氏の追っ手が笛の音を聞きつけて住処を見つけ、少女は捕らわれるのを恥じて池に入水した(子女受難)少女は平知盛(平氏)の姪で、ささら姫という姫君であっ...
備北芸北

姥御前神社(広島県北広島町)

うばごぜんじんじゃ壇ノ浦の戦いの後に安徳天皇と二位の尼はこの地まで逃げ、機織をして暮らした(平家の落人)機織をした地に創建されたのが、姥御前(宇婆御前)神社とされる(創建伝説)社地を決める時に2つの部落が争ったが決着せず、両部落に社が建てら...
安房

増間島(千葉県南房総市)

ますまじま大房岬にある小島約10km程内陸にある増間村から大水の時に川を下って流れていった中洲とされる(地形の由来)毎年正月には、増間村の人が島を訪れて注連縄を張っていた増間村は平家の落人(または大坂の陣の落人)が開いた村とされ、半島上陸の...
下越

山熊田観音(新潟県村上市)

やまくまたかんのん熊山田地区にある浅間神社の別称平家の落人がこの地に隠れ住み、戦国時代まで周囲に知られず暮らしていた箸(椀)が上流から流れてきたため、上杉家臣で府屋城主の大川三郎(戦国武将)はただちに兵を率いて攻め入った集落の長老・相俣弥一...
下越

御前ヶ淵(新潟県阿賀町)

ごぜんがふち阿賀野川と白崎川の合流地点にある淵越後に逃げ延びた平氏の一門(平家の落人)は、白崎で源氏の追っ手に捕らえられて処刑された後から来た平氏の奥方らはひと目会おうとしたが、処刑の刻限に間に合わず、嘆き悲しんでこの淵に飛び込んだ平維茂の...
中越

水草の局塚(新潟県長岡市)

みずくさのつぼねつか平清盛の弟・平頼盛(平氏)の正室・水草の局を葬った場所頼盛らは、平氏滅亡後に越後に隠棲し、水草の局だけがこの地に移り住んだ(平家の落人)『日本の伝説41 越後の伝説』(角川書店)p.75新潟県長岡市 坪根
豊前国東

雲八幡神社(大分県中津市)

くもはちまんじんじゃ九州に落ち延びた平家の落人は多数討ち取られ、その怨念は河童となって悪さをおこなったその霊を鎮めるための「かっぱ楽」が夏の例大祭としておこなわれる(祭礼)『日本の伝説49 大分の伝説』(角川書店)p.113大分県中津市 耶...
高松坂出

三社大明神(香川県坂出市)

さんしゃだいみょうじん平氏の姫君が落ち延びてきたのを村人が匿ったが、後に亡くなったので祀ったとされる(平家の落人)3人の平家の落ち武者がこの地に逃げてきたが、村人からもらった餅を喉に詰まらせて亡くなったとも『日本の伝説5 讃岐の伝説』(角川...
西讃

横畑の里(香川県まんのう町)

よこはたのさと屋島の戦いで敗れた平寿盛(平氏)らがこの地で帰農して住み着いたとされる集落(平家の落人)軍旗を横に倒して農民となったことから、横畑(横旗)の地名となった(地名の由来)『日本の伝説5 讃岐の伝説』(角川書店)p.89香川県まんの...