徳川家康

秩父

今宮神社 駒つなぎのケヤキ(埼玉県秩父市)

いまみやじんじゃ こまつなぎのけやき幹周り約7m、樹高約25m、樹齢約600年の欅の木ある武士(徳川家康とも)が武運長久のため参拝した折、馬を繋いだ木『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.118埼玉県秩父市 中町
さいたま川口

鎧宮八幡神社(埼玉県さいたま市岩槻区)

よろいのみやはちまんじんじゃ徳川家康が岩槻城を攻めた時、この神社の境内に兵を集結させたことから“鎧宮”の名が付いた(名称の由来)城攻めの渡河で難儀していると、一人の老翁が白馬に乗って軽々と川(河川)を渡るのを見た老翁が渡った場所には渡河しや...
東毛

大光院(群馬県太田市)

だいこういん徳川家康が先祖追善のために呑龍上人(名僧)を招いて建立した呑龍上人は、子供の口減らしを悲しみ、多くの子を弟子に引き取って養育したため“子育て呑龍”と呼ばれた(慈善事業)『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)p.20群馬県太田...
峡南

南明寺 大すりこぎ(山梨県富士川町)

なんめいじ おおすりこぎ天正8年(1580年)、朝倉氏との戦に敗れた徳川家康が竹馬の友の住職を頼って逃げ込んだ住職は、僧衣を着せてすりこぎ(食器)で味噌を擂らせて、敵の目をごまかして家康を助けた本堂内陣の左右に、寺宝として大すりこぎが2本吊...
北摂

くらわんか舟発祥の地(大阪府高槻市)

くらわんかぶねはっしょうのち大坂夏の陣(大坂の陣)で真田幸村に追われた徳川家康が、淀川(河川)で干鰯船の船頭(船乗り)に匿ってもらい難を逃れた恩賞として、淀川一帯で船で商売をする権利と、商売の際に乱暴な言葉を使ってもよいとのお墨付きを貰った...

南宗寺 徳川家康の墓(大阪府堺市堺区)

なんしゅうじ とくがわいえやすのはか大坂夏の陣(大坂の陣)の茶臼山の戦いで負傷した徳川家康は亡くなり、この地に埋葬された墓所『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.41日本伝承大鑑:大阪府堺市堺区 南旅篭町東
大阪

茶臼山古墳(大阪府大阪市天王寺区)

ちゃうすやまこふん大坂冬の陣(大坂の陣)で徳川家康が本陣を置いた場所(古墳)大坂夏の陣で真田幸村が陣を置き、家康に奇襲を仕掛けた『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.29大阪府大阪市天王寺区 茶臼山町
西三河

鹿ヶ松(愛知県岡崎市)

しかがまつ別名・三鹿の渡し跡徳川家康が桶狭間の戦いで敗れて岡崎へ戻ろうとしたが、矢作川が増水して渡河できずにいた川岸(岸水辺)で八剣神社に祈ると、神社の方角から3匹の鹿が現れて家康を背中に乗せて浅瀬を渡った全く同じ伝承が足利尊氏の話として残...
西三河

明星院 片目不動尊(愛知県岡崎市)

みょうじょういん かためふどうそん徳川家康が戦場で劣勢に立たされた時に(戦乱)、白衣の武人が現れ加勢した武人は敵方の矢で片目を射抜かれると姿を消したが、徳川方が勝利した勝利の後に明星院へ行くと、本尊の不動明王の片目が潰れており、武人の正体を...
西三河

法蔵寺 賀勝水(愛知県岡崎市)

ほうぞうじ がしょうすい東征の折、日本武尊が戦勝を祈願している最中に湧き出てきた湧水これを祝して日本武尊が「賀勝」と3回声を上げたことから名付けられた(地名の由来)徳川家康が幼少の折、手習いのためにこの水を使った『日本の伝説7 愛知の伝説』...