戦乱

八尾河内長野

鏑矢塚(大阪府八尾市)

かぶらやづか蘇我馬子と物部守屋との戦乱で、聖徳太子が自ら四天王を彫り必勝祈願をしたところ、舎人の迹見赤檮(とみのいちい)が放った矢が物部守屋に当たったこれにより蘇我馬子は勝利し、この守屋を射た鏑矢は埋められ塚が造られた(物品供養)『日本の伝...
八尾河内長野

物部守屋大連墳墓(大阪府八尾市)

もののべのもりやおおむらじふんぼこの地で戦乱の中で射殺された物部守屋の墓所最初は塚のみであったが、明治2年(1869年)に堺県知事・小河一敏によって墓碑が建てられた昭和末期になり、全国各地の神社から寄進された玉垣で囲まれる『日本の伝説8 大...
八尾河内長野

大聖勝軍寺(大阪府八尾市)

だいしょうしょうぐんじ門前に物部守屋の首級を洗った守屋池が残る物部守屋との戦い(戦乱)で劣勢となった聖徳太子が逃げ隠れた椋の木がある助かった聖徳太子は椋の木を使って自らの像(貴人像)と四天王像を造り、戦後同地にこれらの像を安置する太子堂を建...
加賀小松

光教寺跡(石川県加賀市)

こうきょうじあと一向宗の大寺として栄えていたが、一向宗の内紛“享禄の錯乱(1531年:戦乱)”の兵火で焼失、廃寺となった現在は光闡坊という浄土真宗の寺院が建つ敷地内には蓮如ゆかりの腰掛け石や枕石が残る『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角...
岡崎豊田刈谷

明星院 片目不動尊(愛知県岡崎市)

みょうじょういん かためふどうそん徳川家康が戦場で劣勢に立たされた時に(戦乱)、白衣の武人が現れ加勢した武人は敵方の矢で片目を射抜かれると姿を消したが、徳川方が勝利した勝利の後に明星院へ行くと、本尊の不動明王の片目が潰れており、武人の正体を...
新潟村上

鳥坂城跡(新潟県胎内市)

とっさかじょうあと建仁元年(1201年)に起こった城氏(越後平氏)の乱(戦乱)の主戦場の1つとなった城京都で反乱を起こした城長茂の妹にあたる板額御前が弓を用いて抗戦し、勇名を馳せた室町時代に中条氏(武家)が再興し、江戸時代までに廃城となった...
長岡魚沼

管領塚(新潟県十日町市)

かんれいづか永正4年(1507年)、越後守護の上杉房能(武家)が、守護代の長尾為景(戦国武将)に追われて自刃した地に建つ碑房能は朝靄の中、河原の石を敵軍勢と見誤って自刃したとされる(戦乱)『日本の伝説41 越後の伝説』(角川書店)p.30新...
中津宇佐国東

薦神社(大分県中津市)

こもじんじゃ別名、大貞八幡宮境内にある三角池は八幡神が出現した際に湧き出た池であるとされ、神社の御神体である隼人の乱(戦乱)が起こった際、池に自生する真薦(草本)を刈って薦枕を作り、それを依り代として出陣した『日本の伝説49 大分の伝説』(...
長野千曲飯山

姫の泣き石(長野県信濃町)

ひめのなきいし芋川の庄(現・信濃町)の殿様の姫君は、ある時身を守って怪我をした若侍と恋に落ちる殿様は兵を率いて戦をするが、姫はそれが心配で割ヶ岳まで出向く(戦乱)その地で、殿様の討死の報を聞き、さらに伝令となった若侍が雷に打たれて死んだため...
宮古島石垣大東

オヤケアカハチの碑(沖縄県石垣市)

おやけあかはちのひアカハチは、15世紀の末に石垣島の頭目(琉球の名族)として首里王府に対して反旗を翻したが戦死した(戦乱)長年王府に反逆した逆賊として扱われてきたが、近年八重山諸島のために立ち上がった英雄とみなされ、顕彰碑と銅像が造られた『...