戦国武将

広島廿日市

吉川千法師と乳母の墓(広島県広島市安佐北区)

きっかわせんほうしとうばのはか吉川興経(戦国武将)が暗殺された時、一緒にいた子の千法師は乳母と共に近くの山で殺された(子女受難)千法師と乳母が殺された場所に墓が建つ(墓所)『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.41広島県広島市安佐北...
広島廿日市

豊島兄弟の墓(広島県広島市安佐北区)

てしまきょうだいのはか通称・五人墓吉川興経(戦国武将)が暗殺された時に最後まで敵と奮戦し、討ち果たされた豊島氏(手島氏とも)の5人兄弟(武人)の供養墓(墓所)『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.41広島県広島市安佐北区 上深川町
広島廿日市

吉川興経の胴塚(広島県広島市安佐北区)

きっかわおきつねのどうづか毛利元就によって強制的に隠居させられた吉川興経(戦国武将)は、隠居所で暗殺された隠居所の屋敷跡(吉川興経居館)に興経の墓(胴塚)がある『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.41広島県広島市安佐北区 上深川町
備北芸北

吉川興経の首塚(広島県北広島町)

きっかわおきつねのくびづか常仙寺跡に残る首塚吉川興経(戦国武将)は幽閉先で暗殺されたが、その首を愛犬がこの地までくわえて持ってきた首塚のそばには、この場で死んだ犬を供養するための犬塚もある犬が息絶えた時に興経の首級が転がり落ちたため、首塚よ...
広島廿日市

坪井将監の力石(広島県広島市佐伯区)

つぼいしょうげんのちからいし毛利氏の武将であった坪井将監(戦国武将)は、極楽寺の参道にあった巨石を屋敷に持ち帰り、これを使って鍛練した(力石:怪力伝説)『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.34広島県広島市佐伯区 坪井
広島廿日市

今伊勢神社(広島県廿日市市)

いまいせじんじゃ伊勢神宮から勧請され、分社された神社厳島合戦(戦国の戦い)のあった要害山にある神社合戦で討ち取られた陶晴賢(戦国武将)を祀っていると言われる『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.19広島県廿日市市 宮島町
東三河

奥平仙千代の墓(愛知県新城市)

おくだいらせんちよのはか長篠城主の奥平信昌(戦国武将)の弟・仙千代は武田への降伏の人質となった長篠の戦いの時に、信昌が徳川へ寝返ったため処刑された(子女受難)刑場となった場所では、草一本でも折ると発病や発狂するとされた(祟り)『日本の伝説7...
東三河

女郎淵(愛知県設楽町)

じょろうぶち長篠の戦いで敗走した望月右近太夫(戦国武将)の奥方は、夫の消息を尋ねて三河へ赴いたその途中で奥方は殺され、その遺骸はこの淵に投げ棄てられた(子女受難)『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.225・239愛知県設楽町 神田向...
東三河

弁天渕の石祠(愛知県設楽町)

べんてんぶちのいしぼこら長篠の戦いで敗走した望月右近太夫(戦国武将)の奥方は、夫の消息を尋ねて三河へ赴いたその途中で奥方は殺され、遺骸は川に投げ棄てられ、その右手(手足)だけがさらに下流に流されてきた(子女受難)腕が流れ着いた集落では凶事が...
東三河

望月様(愛知県東栄町)

もちづきさま長篠の戦いに敗れた武田方の望月右近太夫(戦国武将)は落人狩りに遭って自害した死の間際に、信濃の風が通る峠に葬って欲しいと頼むが、遺骸は放置されたその後、落人狩りに加わった集落に疫病が流行ったため、祟りを怖れて峠(望月峠)に祠を建...