朝鮮の役

唐津伊万里

報恩寺 百婆仙の碑(佐賀県有田町)

ほうおんじ ひゃくばせんのひ朝鮮の役の後、百婆仙は夫の宗伝(陶工)と共に朝鮮から武雄に渡ってきた(渡来人)夫の死後、70歳の時に一族総出で武雄から有田へ居を移し、作陶を続けた明暦2年(1656年)に96歳で亡くなるまで、数百人の陶工をまとめ...
唐津伊万里

李参平の墓(佐賀県有田町)

りさんぺいのはか朝鮮の役の末期に鍋島家によって日本へ連れて来られた朝鮮人陶工(渡来人)で、磁器に適した陶石を発見して、日本で初めての磁器(有田焼)を製作した(起源伝説)その後、日本名・金ヶ江三兵衛を名乗り、明暦元年(1655年)に亡くなった...
唐津伊万里

山ン寺遺跡(佐賀県伊万里市)

やまんてらいせき久安年間(1145~1150年)に松浦党2代である源直(なおす:地方豪族)がこの地に館を建てて、一族の菩提寺の総持寺を建立した(屋敷跡)朝鮮の役の時、豊臣秀吉が鐘の供出を命じたが拒否したため全山が焼き討ちに遭った(僧兵の出兵...
唐津伊万里

広沢寺(佐賀県唐津市)

こうたくじ名護屋城内の山里丸跡にある、豊臣秀吉が建立した寺院名護屋城の地を領有していた名護屋経述(戦国武将)の妹で、松浦一の美女と言われて秀吉の側室となった広沢局の名を採って創建された秀吉の死後、広沢局はこの寺で仏門に入り、境内に秀吉の遺髪...
唐津伊万里

浄泰寺 安田作兵衛の墓(佐賀県唐津市)

じょうたいじ やすださくべえのはか本能寺の変(謀反)で織田信長に一番槍をつけたとされる、安田作兵衛国継(戦国武将)の墓所旧友の寺沢広高といずれかが出世したら禄高の十分の一で召し抱えるとの約束をしており、広高が唐津の大名となったため、家臣とな...
唐津伊万里

諏訪神社(佐賀県唐津市浜玉町浜崎)

すわじんじゃ百済の鷹匠・誓来(斉来:渡来人)が朝廷に鷹を献上するため来日し、矢田連の娘・諏訪姫(姫君)が勅使としてこの地に鷹を受け取りに来た鷹狩りの稽古をするうちに二人は恋仲となるが、献上の鷹が蝮(蛇)に殺されてしまい、諏訪姫は責を負って自...
唐津伊万里

岸岳城跡(佐賀県唐津市)

きしだけじょうあと松浦党の分家・波多氏(武家)が鎌倉時代以降居城としたとされる城波多氏17代の三河守親(ちかし:戦国大名)は豊臣秀吉の不興を買い、文禄2年(1593年)朝鮮の役から帰国直後に軍律違反を理由に帰城を許されず改易となったこの時残...
指宿枕崎日置

玉山神社(鹿児島県日置市)

たまやまじんじゃ海から大きな火の玉(怪火)が飛来して大石の上に落ち、それ以降石が鳴動し続けた(動く石)付近に住む、朝鮮の役で連行された陶工(渡来人)達は、朝鮮宗廟の神・檀君(中国朝鮮の神)が村人を守るために来たと託宣を受けたこの大石を御神体...
鹿児島霧島

高麗舞の峰(鹿児島県姶良市)

こままいのみね朝鮮の役の頃、朝鮮から連れて来られた王子(渡来人)が一時この地(鴻ノ巣園跡:屋敷跡)に住んでいた故郷を思って泣く王子のため、朝鮮が見えると称して鴻ノ巣園の前の山に登って舞や音曲で慰めた『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店...
名古屋

常泉寺 秀吉お手植えの柊(愛知県名古屋市中村区)

じょうせんじ ひでよしおてうえのひいらぎ豊臣秀吉の生誕地に建つとされる常泉寺の境内にある豊臣秀吉が11歳の時(1547年)に植えたとされる柊の木小田原攻め(1590年)の後にここに立ち寄った際に見つけ、大切にするよう竹で添え木をした朝鮮の役...