海部知多今川塚(愛知県東海市) いまがわづか通称「今川さん」桶狭間の戦いで討死した今川義元の遺体を家臣がここまで運び、寺に葬った(寺は現存せず)塚には供養塔と“今川義基墳”と刻まれた石碑があるが、“義元”であることを隠すための“誤字”とされる家臣達はその後もこの地に留まり... 2025.05.13海部知多
名古屋長福寺(愛知県名古屋市緑区) ちょうふくじ境内で、桶狭間の戦い後の首実検が行われ(林阿弥の首検証跡)、供養の杉の木が立つ後に義元の茶坊主・林阿弥が再訪し、その時持参の阿弥陀如来像(仏像)が本尊となった境内の放生池は“血刀濯ぎの池”と呼ばれ、戦いの後の刀剣に付いた血を洗っ... 2025.05.13名古屋
名古屋桶狭間古戦場公園(愛知県名古屋市緑区) おけはざまこせんじょうこうえん桶狭間の戦いで、本陣から逃れた今川義元が織田勢に討ち取られた場所とされる塚から掘り出された、今川義元の墓所とされる“駿公墓碣”が敷地内にある義元首洗いの泉(湧水)があり、泉の中に回る桶があったことから桶狭間の地... 2025.05.13名古屋
尾張桶狭間古戦場伝説地(愛知県豊明市) おけはざまこせんじょうでんせつち桶狭間の戦いの時、今川義元の本陣が置かれた場所とされる義元の墓所を始め、今川重臣が討ち取られた場所を示す“七石表”などが敷地内にあるまた今川家重臣の子孫が建てた、戦いの顛末を刻んだ「桶狭弔古碑」(石碑)がある... 2025.05.13尾張
名古屋戦評の松(愛知県名古屋市緑区) せんぴょうのまつ桶狭間の戦いの際に、今川軍の軍議がこの松の木の下で行われたことから名が付いた。ある鰻屋(商人)が行商のため、夜明け前にこの松の下を通りがかった時、上空に白馬に乗った白装束の幽霊を見た幽霊の正体は今川義元で、見たことを固く口止... 2025.05.13名古屋
西三河鹿ヶ松(愛知県岡崎市) しかがまつ別名・三鹿の渡し跡徳川家康が桶狭間の戦いで敗れて岡崎へ戻ろうとしたが、矢作川が増水して渡河できずにいたそこに1頭の鹿が現れて浅瀬を渡ったことから無事渡河できたため、後にその地に松を植えたまた川岸(岸水辺)で八剣神社に祈ると、神社の... 2025.05.12西三河
西三河大樹寺 貫木神(愛知県岡崎市) だいじゅじ かんぬきじん桶狭間の戦いで敗れた松平元康(徳川家康)は大樹寺に逃げ込んだが、織田の雑兵が攻めてきた怪力の祖洞という僧侶が総門の閂を振り回してこの危難を乗りきった(怪力伝説)閂は寺宝として保存され、縁起物として将軍の代替わりごとに... 2025.05.12西三河
海部知多三楠八幡神社(愛知県常滑市) みくすはちまんじんじゃ現在は海椙神社の摂社今川の武将であった松平元康(後の徳川家康)は、桶狭間の戦いで敗れた時にこの神社にあった大木(木本)の洞に隠れて難を逃れた『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.52愛知県常滑市 虹の丘 2025.05.10海部知多
名古屋熱田神宮 信長塀(愛知県名古屋市熱田区) あつたじんぐう のぶながべい永禄3年(1560年)の桶狭間の戦い前に熱田神宮で必勝祈願をして勝利した織田信長が寄進した、土と石灰を油で練り固め、瓦を多数積み重ねた築地塀西宮神社の大練塀、三十三間堂の太閤塀と共に、日本三大土塀の1つとされる『... 2025.05.09名古屋