郡内口論橋(山梨県富士吉田市) こうろんばし正式名は白糸橋この橋を境として、福昌寺という寺の移転を巡って白糸町と寿町の者が口論をし、石を投げ合った(騒動)『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)P.22山梨県富士吉田市 上暮地 2025.08.04郡内
郡内猿橋(山梨県大月市) さるはし百済から来た志羅乎(渡来人)が建設した橋で日本三奇橋の1つ鎖状になって川を渡った猿の一群を見て、工法を思いついたことから名が付いた一説では、橋の完成を祈願して志羅乎夫婦は完成の前に自害して命を神に捧げたとされる『日本の伝説10 甲州... 2025.08.04郡内
北摂雉子畷碑(大阪府吹田市) きじなわてひ長柄橋の人柱となった巌氏(長柄の人柱碑)の娘は、河内禁野の長者の嫁となったが、ひと言も言葉を発しないそのため離縁となったが、送られる途中で雉が撃たれるのを見て、和歌を一首詠んだ「ものいわじ 父は長柄の 橋柱 雉も鳴かずば 射られ... 2025.07.14北摂
北摂絹延橋(大阪府池田市) きぬのべばし呉から縫工女として来た呉服・穴織の姉妹(渡来人)が、機織から染色をおこない、猪名川の水で洗い、河原で絹を延べたとされるこの故事にちなんで名付けられた、昭和6年(1931年)に架けられた橋『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p... 2025.07.13北摂
北摂椋橋総社 鯉塚(大阪府豊中市) くらはしそうしゃ こいづか行基が架橋工事に失敗したため、この神社に祈ったところ、大量の鯉が群れをなして橋代わりとなって工事を成功させたこれ以来村人は鯉を捕ることを戒め(禁忌)、死んだ鯉は塚に埋めて供養した(畜類供養)『日本の伝説8 大阪の伝... 2025.07.13北摂
北摂茨木童子貌見橋碑(大阪府茨木市) いばらぎどうじすがたみばしひ付近の床屋が子供を拾い、その子が成長して店の手伝いをしているうちに血の味を覚えてしまった家の前にある橋から見ると、自分の姿が鬼になっていたため、子供は店を出奔したその後大江山の酒呑童子の配下となり、茨木童子となっ... 2025.07.12北摂
河内鵲橋(大阪府枚方市) かささぎばし中国の七夕伝説では、天の川に鵲の群れが集まって織姫と牽牛の橋渡しをしたとされることから名付けられた天野川(河川)に橋が架けられたのは江戸時代以降で、鵲橋の名は明治時代以降とされる『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.101... 2025.07.12河内
和泉泣くな石(大阪府貝塚市) なくないし牛神にお参りした際、祠のそばにあった石を村に持ち帰り、石橋にした夜になるとこの石が帰りたいと泣いたため、元の場所に戻した(夜泣き石)この石は牛神の祭で使われるものであった『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.57大阪府貝塚市... 2025.07.08和泉
大阪小楠公義戦之跡(大阪府大阪市中央区) しょうなんこうぎせんのあと楠木正行(南北朝の武将)が、この地にあった渡辺橋で北朝方と戦い、勝利した(南北朝の戦い)記念碑敵の将兵約500名が橋から転落したのを助け、衣食や薬などを与えねぎらった助けられた将兵は正行に帰順し、後に正行と共に全員... 2025.07.06大阪
山城講田寺 笑地蔵(京都府八幡市) こうでんじ わらいじぞう雉子畷碑の故事(人柱)で離縁を免れた長者の娘は夫の死後不言寺を建て、長柄橋の橋柱(用材)で地蔵を造った不言寺が廃寺となり、地蔵だけが講田寺に安置された『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.14京都府八幡市 橋本... 2025.07.06山城