河川

薩摩川内出水

戸田観音 ガラッパ像(鹿児島県薩摩川内市)

とだかんのん がらっぱぞう長禄3年(1459年)、渋谷徳重(武家)の姫が舟遊びをしている最中、樋脇川(河川)に落ちて水死した河童の仕業と考えた徳重は、供養のために建立した観音像の足元に河童(ガラッパ)の像を置いて懲らしめたさらに川近くに「水...
薩摩川内出水

長崎堤防(鹿児島県薩摩川内市)

ながさきていぼうたびたび起こる川内川(河川)の氾濫を治めるため、藩は小野仙右衛門(藩士)を奉行として堤防を造らせた失敗を繰り返したため、堤防を築く位置を示す代わりに横はぎの着物を着た者を人柱を立てることを約束した長縄を流して場所を決めた後、...
身延市川三郷

鳥塚(山梨県市川三郷町)

とりづか芦川(河川)に堤防を設けて流れを変えたが、たびたび水害に遭っていた人柱に代わって、生きたままのつがいの鶏を埋めて祠を建てたところ、水害が起こらなくなった『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)p.108山梨県市川三郷町 市川大門
身延市川三郷

蹴裂明神(山梨県富士川町)

けさきみょうじん富士川にある“禹之瀬”の岸に鎮座する祠の跡地山の一部を蹴り破り、湖水の水を抜いて甲府盆地を造った神を祀る(蹴裂伝説:地形の由来)富士川(河川)の氾濫や、道路拡張工事のため、現在は石碑のみ残る『日本の伝説10 甲州の伝説』(角...
身延市川三郷

禹之瀬(山梨県富士川町)

うのせかつて甲府盆地が湖水であったのを、水を抜いて陸地を造った(蹴裂伝説:地形の由来)湖水を富士川(河川)に流した、川幅が最も狭くなった約4kmの流域地点開拓したのは蹴裂明神とも行基ともされる『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)p.9...
甲府韮崎北杜

信玄堤(山梨県甲斐市)

しんげんづつみ龍王川除場(りゅうおうがわかわよけ)と呼ばれる堤防施設で、川の流れを巨石や岩壁によって調整する仕組みを持つ武田信玄が治水のために釜無川(河川)に約20年掛けて設け、永禄3年(1560年)に完成したとされる『日本の伝説10 甲州...
甲州笛吹

長慶寺 笛吹権三郎の墓(山梨県笛吹市)

ちょうけいじ ふえふきごんざぶろうのはか権三郎という若者は笛(楽器)の名人で、母と共に暮らしていた洪水(水害)が起こり母だけが流されると、権三郎は行方を尋ねて川沿いを彷徨ううちに溺死した権三郎が死んだ河川は後に笛吹川と呼ばれるようになった(...
大月都留吉田

的様(山梨県道志村)

まとさま室久保川(河川)の川床にある、的のような模様のついた花崗岩(奇岩怪石)富士の巻き狩りの折、源頼朝が1里先にある的を射たところ、それが川に落ちて岩の模様として残ったとされる五穀豊穣や雨乞い(祈雨)の神として信仰されている『日本の伝説1...
八尾河内長野

久修園院(大阪府枚方市)

くしゅうおんいん藤原高房(藤原氏)が西国の任地へ赴く際、淀川(河川)のほとりで捕まえられた亀を助けてやった後日、高房の幼子を殺そうと、継母がわざと川へ落として助けを求めた(継子殺し)高房が神仏にすがろうと久修園院に伏し拝むと、子を背に乗せた...
八尾河内長野

鵲橋(大阪府枚方市)

かささぎばし中国の七夕伝説では、天の川に鵲の群れが集まって織姫と牽牛の橋渡しをしたとされることから名付けられた天野川(河川)に橋が架けられたのは江戸時代以降で、鵲橋の名は明治時代以降とされる『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.101...