物部守屋

生駒葛城

笙谷寺(奈良県平群町)

しょうこくじ聖徳太子が物部守屋討伐祈願の際に松と竹を植えた松は1つの根から雌雄の幹が生えて夫婦松となった(現存せず)竹(竹藪)は凱旋後に切って笙(楽器)を作り、そこから笙の谷と呼ばれるようになった(地名の由来)『日本の伝説13 奈良の伝説』...
磯城高市

興福寺 八釣山地蔵(奈良県橿原市)

こうふくじ やつりやまじぞう仏法を嫌った物部守屋が橘寺を焼き討ちにした時、地蔵自らが飛んで天香具山に逃げた(神仏の避難)後に聖徳太子が山の麓に寺を建てて祀った『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.48奈良県橿原市 下八釣町
行田春日部

聖徳寺 塩地蔵堂(埼玉県越谷市)

しょうとくじ しおじぞうどう聖徳太子と戦った常陸国の守谷大臣(物部守屋?)が敗死した後、遺骸から一体の地蔵が現れたため、それを祀った地蔵は岩塩で出来ていると言われ、塩(食品食材)を供えて祈ると願いが叶うとされる(特有の願掛け)『日本の伝説1...
河内

樟本神社(大阪府八尾市)

くすもとじんじゃ南木の本にある樟本神社付近で、物部守屋が稲城を築き、蘇我の軍勢を撃退したとされる(戦乱)北木の本にある樟本神社境内には、物部守屋の首級を洗った池が残る『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.87大阪府八尾市 木の本/北木...
河内

鏑矢塚(大阪府八尾市)

かぶらやづか聖徳太子が戦乱で四天王寺に必勝祈願をし、舎人の迹見赤檮(とみのいちい)が矢を放つと、物部守屋に当たって射殺したこの時の鏑矢を埋めた塚『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.87大阪府八尾市 南太子堂
河内

物部守屋の墓(大阪府八尾市)

もののべのもりやのはかこの地で戦乱の中で射殺された物部守屋の墓所明治初年に建てられた墓碑が、全国各地の神社が奉納した玉垣で囲まれる『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.86大阪府八尾市 東太子
河内

大聖勝軍寺(大阪府八尾市)

だいしょうしょうぐんじ門前に物部守屋の首級を洗った守屋池が残る物部守屋との戦い(戦乱)で劣勢となった聖徳太子が逃げ隠れた椋の木がある『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.86大阪府八尾市 太子堂
和泉

捕鳥部万の墓(大阪府岸和田市)

ととりべのよろずのはか物部守屋の家来(武人:廷臣)で、守屋の死後に追っ手の兵を一人で迎え撃ち、最後に自害したその死後に逆臣として八つ裂きにされるところを、飼い犬の忠義で罪を赦され墓が建てられた(墓所:忠犬伝説)『日本の伝説8 大阪の伝説』(...
海部知多

甚目寺(愛知県あま市)

じもくじ漁夫の甚目龍麿が海から拾い上げた聖観音像を本尊とする(創建伝説)この仏像は、物部守屋が海に投げ棄てた3体の仏像の1体であるとされる『日本の伝説7 愛知の伝説』(角川書店)p.40愛知県あま市 甚目寺