石像

武雄多久

沖ノ島(佐賀県太良町)

おきのしま有明海の沖合5.5kmにある、有明海唯一の島・岩礁(干潮時のみ出現)江戸時代に、有明海一帯が旱魃に襲われた時、“おしま”という娘が雨を降らすために自ら海に身を投げた(雨乞い伝説:人身御供)おしまの遺体が沖ノ島に流れ着くと、雨が降り...
武雄多久

水堂さん(佐賀県白石町)

みずどうさん正式名称は水堂安福寺天平時代、ある猟師が白鹿に矢を放ったところ鹿が金色に輝き、後を追うと矢の刺さった観音石像を見つけた猟師はその場で出家して観音を祀ったが、その矢の痕から霊水が湧き出てきた(湧水:創建伝説)水は例年旧暦の4月15...
川越飯能

影隠地蔵(埼玉県狭山市)

かげかくしじぞう木曽義仲の嫡男・義高が鎌倉から脱出して逃亡した時、この地蔵の影に隠れて追っ手の追跡を逃れた(神仏の加護)元は木造の地蔵であったが、明治7年(1874年)以降石像となった『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.68埼玉県...
東毛

安勝寺 光明真言金亀宝篋印塔(群馬県板倉町)

あんしょうじ こんこうしんごんきんきほうきょういんとう漁夫が沼に光るもの(怪光)を見つけ、引き上げると石の亀(石像)であった宝暦7年(1757年)の洪水の時に、再び石亀が光り輝き動き出したため(動く絵や像)、宝篋印塔を上に乗せ動かなくした『...
鹿児島霧島

日当山侏儒どん(鹿児島県霧島市)

ひなたやましゅじゅどん薩摩藩日当山郷の地頭であった徳田太兵衛(名士)の愛称身長が1m足らずの人(不具者)であったが、頓智話の主人公として親しまれ、石像が建つ『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.55鹿児島県霧島市 隼人町東郷
鹿児島霧島

隼人塚(鹿児島県霧島市)

はやとづか五重石塔3基と四天王石像4体からなる養老4年(720年)大和政権に反乱(戦乱)を起こした隼人族(隼人熊襲)の慰霊のために造られた塚とされる『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.51鹿児島県霧島市 隼人町見次
鹿児島霧島

持明院様(鹿児島県鹿児島市)

じみょういんさあ通称“ジメサア”島津義久(戦国大名)の三女で、島津家久(大名)の正室となった亀寿(持明院)の石像(貴人像)人格は優れていたが、器量が良くなかったため、その死後より石像に化粧する風習が伝わった(化粧する像)石像に化粧すると美人...
豊前国東

羅漢寺(大分県中津市)

らかんじ大化元年(645年)に来日した法道仙人を開基とする大友宗麟が兵を進めたが、龍の石像が怪光線を発したため、撤退して焼き討ちを免れた(建物を守る)『日本の伝説49 大分の伝説』(角川書店)p.112日本伝承大鑑:大分県中津市 本耶馬渓町
豊前国東

文殊仙寺 宝篋印塔(大分県国東市)

もんじゅせんじ ほうきょういんとう国東半島で最大の宝篋印塔高崎藩士に仕えていた男が主人の妻と密通し(不義密通)、主人を殺して失踪、さらに逃亡中にその妻を殺した男は改心し、文殊仙寺で浄覚(僧侶)と名乗ると、天保4年(1832年)より宝篋印塔造...
西讃

西行の石像(香川県綾川町)

さいぎょうのせきぞう西行法師をかたどったとされる、帽子をかぶった石像(貴人像)がある西行がこの地で休んだことから“休み法師”、さらに安帽子の地名ができたとされる(地名の由来)『日本の伝説5 讃岐の伝説』(角川書店)p.82香川県綾川町 羽床...