唐津伊万里報恩寺 百婆仙の碑(佐賀県有田町) ほうおんじ ひゃくばせんのひ朝鮮の役の後、百婆仙は夫の宗伝(陶工)と共に朝鮮から武雄に渡ってきた(渡来人)夫の死後、70歳の時に一族総出で武雄から有田へ居を移し、作陶を続けた明暦2年(1656年)に96歳で亡くなるまで、数百人の陶工をまとめ... 2026.03.02唐津伊万里
武雄多久小城石造八並の塔(佐賀県武雄市) せきぞうやつなみのとう室町時代頃に造られた、高さ3mの石塔曾我兄弟の兄・十郎の許嫁であった虎御前は、兄弟が仇討ちで落命した後に尼僧となって全国をめぐった小城の岩蔵寺の落慶を聞いて九州へ下った虎御前が、その途中で兄弟の供養のためにこの石塔を建... 2026.02.26武雄多久小城
武雄多久小城高野神社 矢の根石(佐賀県多久市) たかのじんじゃ やのねいし境内にある六地蔵塔(石塔)の竿石に、直径1.5cmの鉄鏃(矢尻)が射込まれている源為朝が黒髪山の大蛇を退治した際、鬼の鼻山から矢を放ったところ、大蛇に当たったが刺さらず、跳ね返ってこの石に突き刺さった矢尻の部分が抜... 2026.01.29武雄多久小城
佐賀鳥栖万部島(佐賀県佐賀市) まんぶじま佐賀城の鬼門に当たる、堀と川に囲まれた中洲で、永正2年(1505年)に龍造寺家兼(戦国大名)が国家安泰・万民安楽を願って法華経(経典)一万部の誦経(宗教儀式)をおこなった以後明治維新になるまで、肥前藩の藩主(大名)が誦経を執りおこ... 2026.01.06佐賀鳥栖
四万十須崎賀茂神社 八百比丘尼の塔(高知県須崎市) かもじんじゃ やおびくにのとう人の顔をした魚(人魚)が網に掛かり、須崎の港に揚げられた魚は暫く放置されていたが、近所の女児がその魚に這い上がって、傷口の血を舐めた娘は年月が経っても容貌が変わらず、200歳を過ぎた頃に剃髪して行脚の旅に出た(... 2025.12.06四万十須崎
奈良宇陀衣掛柳の碑(奈良県奈良市) きぬかけやなぎのひ猿沢池の東端にある帝の寵愛を受けられないことを憂い、猿沢の池に入水した采女が、入水の前に池の畔にあった柳の木に衣を掛けた(悲恋伝説)その木があった跡に、十三重の石塔が建てられ残る『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p... 2025.11.07奈良宇陀
前橋伊勢崎正観寺 義経馬殿塔(群馬県伊勢崎市) しょうかんじ よしつねうまどのとう?粕川(河川)を渡ろうとした源義経一行だが、洪水後の増水で義経の乗馬と案内をした山伏(行者山伏)の知海坊が流された義経の身代わりになって流されたため、篤く葬って石塔を建てた(鳥獣墓)『日本の伝説27 上州の... 2025.09.25前橋伊勢崎
薩摩川内出水稲荷神社(鹿児島県伊佐市大口大島) いなりじんじゃ祭神に平氏の子孫である小松殿が祀られる平重盛の末子・宗実の遺児である宗衡と盛衡は、菱刈氏に預けられこの地に住んだとされる(平家の落人)参道に小松氏の墓とされる石塔があり、領主の大口氏(地方豪族)と血縁関係を結んだとされる『日本... 2025.08.26薩摩川内出水
鹿児島霧島隼人塚(鹿児島県霧島市) はやとづか五重石塔3基と四天王石像4体からなる塚養老4年(720年)大和政権に反乱(戦乱)を起こした隼人族(隼人熊襲)の慰霊のために造られた塚とされる『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.51鹿児島県霧島市 隼人町見次 2025.08.25鹿児島霧島
八尾河内長野中将姫所縁の石塔(大阪府東大阪市) ちゅうじょうひめゆかりのせきとうこの地にあった渕側池(現存せず)に生える蓮から取った糸(裁縫道具)を使って、中将姫が当麻寺の曼荼羅を一夜にして織り上げたとされる池があった近くに中将姫供養のための石塔が建つ『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書... 2025.07.09八尾河内長野