石碑

熊谷深谷

見返り松(埼玉県深谷市)

みかえりまつ深谷宿の街道筋外れにある松の木で、前夜の宿で取った遊女を思い出して旅人が振り返る場所と言われた現在は何代目かの松と石碑が立つ『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.102埼玉県深谷市 原郷
川越飯能

重闢茶場碑(埼玉県入間市)

かさねてひらくちゃじょうのひ出雲祝神社境内にある石碑文政2年(1819年)にこの地で狭山茶の生産を復活させたことを記念して建てられた『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.65埼玉県入間市 宮寺
行田春日部

川俣締切跡(埼玉県羽生市)

かわまたしめきりあと文禄3年(1594年)におこなわれた利根川治水(堤防)の最初期の工事跡この時人柱となった行者(行者山伏)を祀った締切神社の石碑が横にある(祠は現存せず)『日本の伝説18 埼玉の伝説』(角川書店)p.55埼玉県羽生市 上新...
さいたま川口

慈眼寺 八百比丘尼の碑(埼玉県さいたま市西区)

じげんじ やおびくにのひ若狭国に住む通鴻という者が龍宮へ行き、土産に貰った人魚の肉を娘が食べ不老不死となった娘は八百比丘尼となり、武蔵の地に長年住み続けたが何処ともなくいなくなった一説では、800歳でこの地を訪れた尼は、善政を敷く領主に残り...
西毛

栖雲寺 虎御石供養塔(群馬県富岡市)

せいうんじ とらごいしくようとう“御虎石(おとらいし)”とも呼ばれる曾我兄弟の菩提を弔うために虎御前が立ち寄った山門の前にある5mの石柱(石碑)が虎御前が供養のために建てた(あるいは虎御前を祀る石)『日本の伝説27 上州の伝説』(角川書店)...
出雲

▲義民伝六の碑(島根県奥出雲町)

ぎみんでんろくのひ天明4年(1784年)の飢饉で、年貢の減免を訴えた義民の伝六が処刑された跡(刑場)に建つ石碑晒された首級は真っ直ぐに向けても、翌日には松江の城を向いて睨みつけ続けた(死者の怪)『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角川書店...
出雲

金屋子神社 仏島の碑(島根県安来市)

かなやごじんじゃ ほとけじまのひ石見国の役人であった柿本人麻呂は、都との往復の途中で嵐に遭って仏島で客死した墳墓のしるしとして建てられた石碑現在仏島はなく、日立金属の敷地内にある金屋子神社に安置される『日本の伝説48 出雲・石見の伝説』(角...
南薩

黒瀬海岸 瓊瓊杵尊上陸地(鹿児島県南さつま市)

くろせかいがん ににぎのみことじょうりくち高千穂に天孫降臨した瓊瓊杵尊は、さらに船に乗って南下したその際最初に上陸した海岸(浜海岸)とされる上陸の石碑が建つ地元では“神渡海岸”と呼ばれる『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.110...
南薩

宮入松跡(鹿児島県南九州市)

ぐれまつ(ぐいげまつ)あと開聞からそれぞれ知覧・川辺の所領地に赴いた豊玉姫と玉依姫の姉妹神が、道中の途中で行列を整えた松の木の跡現在は石碑のみが残る『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.99鹿児島県南九州市 知覧町東別府
北薩

俊寛僧都碑(鹿児島県出水市)

しゅんかんそうずひ鬼界島を脱出した俊寛は船中で病となり、出水にあった山内寺で隠棲中に亡くなった埋葬地が土塚となっていたが、延宝5年(1677年)の五百回忌に合わせて建立された石碑が立つ『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.86鹿児...