石碑

北摂

茨木童子貌見橋碑(大阪府茨木市)

いばらぎどうじすがたみばしひ付近の床屋が子供を拾い、その子が成長して店の手伝いをしているうちに血の味を覚えてしまった家の前にある橋から見ると、自分の姿が鬼になっていたため、子供は店を出奔したその後大江山の酒呑童子の配下となり、茨木童子となっ...
河内

和田寺(大阪府枚方市)

わだでら惟喬親王が遊猟の折、一帯の人々を害する3本足の白雉を退治してこの地に葬った(化け物退治)あるいは遊猟の際に、3本足の白雉が渚の院に飛んできて死んだため、この地に葬った境内には「三足白雉霊」の石碑がある『日本の伝説8 大阪の伝説』(角...
河内

善根寺春日神社(大阪府東大阪市)

ぜんこんじかすがじんじゃ境内には、神武東征で大和入りをして最初に戦った(戦乱)孔舎衙の古戦場碑(石碑)がある神社の前の坂が孔舎衙坂であると比定される『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.92大阪府東大阪市 善根寺
大阪

長柄の人柱碑(大阪府大阪市淀川区)

ながえのひとばしらひ長柄の橋は幾度となく流されたため、人柱を立てることに決めたこの時通りがかった垂水長者の巌氏が、袴に継ぎ当てのある者を人柱にと進言した巌氏の袴に継ぎ当てがあったため、言った本人が人柱となった(石碑)『日本の伝説8 大阪の伝...
備後

和泉式部手植下り松碑(広島県尾道市)

いずみしきぶてうえくだりまつひ厳島神社参詣で船に乗った和泉式部が、途中嵐に遭った嵐を避けて向島に上陸出来た式部が記念に植えた松の木が明治時代まであり、その跡に石碑が残る『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.88広島県尾道市 向東町古...
備北芸北

へらほりの池跡(広島県安芸高田市)

へらほりのいけあと吉田の豪商であった河野与三郎が、へら(木工品)を使って日数を掛けて池を造らせることで貧民救済を図った池はなくなったが、この慈善事業を後世に伝えるために石碑が建てられた『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.54広島県...
備北芸北

百万一心の碑(広島県安芸高田市)

ひゃくまんいっしんのひ毛利元就が、吉田郡山城の築城工事の際に、人柱の代わりに埋めた石碑「一人一人が力を合わせて、心を一つにして事にあたる」ことを意味する(教訓譚)文化13年(1816年)に長州藩士が発見したとされるが、拓本のみで実物は未見と...
広島廿日市

蛇王池の碑(広島県広島市安佐南区)

じゃおういけのひ阿武山に棲む大蛇が害をなすため、八木城主・香川光景の同族である香川勝雄(武人)が名乗り出て退治した(化け物退治)勝雄が大蛇の首を刎ねたところ、首が落ちた場所が血で沼のようになって池ができた供養の石碑は、昭和27年(1952年...
広島廿日市

福蔵寺(広島県広島市西区)

ふくぞうじ本尊は行基作の“帯孕み地蔵”と呼ばれ、妊婦を護り、安産のご利益がある境内に、沖で難破して死んだ源範頼の五輪塔があり、享保18年(1733年)に建立された旨を刻んだ石碑が立つ『日本の伝説21 広島の伝説』(角川書店)p.36広島県広...
海部知多

今川塚(愛知県東海市)

いまがわづか通称「今川さん」桶狭間の戦いで討死した今川義元の遺体を家臣がここまで運び、寺に葬った(寺は現存せず)塚には供養塔と“今川義基墳”と刻まれた石碑があるが、“義元”であることを隠すための“誤字”とされる家臣達はその後もこの地に留まり...