生駒葛城達磨寺(奈良県王子町) だるまじ聖徳太子が遊行をしていると一人の行き倒れ者(乞食)に遭遇し、飲食物や着物を与えた行き倒れ者は翌日死んで葬られたが、数日後棺を開けると空で、着物だけが残っていた(死者の怪)太子はこの行き倒れ者が達磨大師の化身であると認め、その地に達磨... 2025.11.20生駒葛城
生駒葛城龍田神社(奈良県斑鳩町) たつたじんじゃ法隆寺建立の地を探していた聖徳太子が、龍田大明神(その他の神々)が化身した翁に斑鳩の地を勧められたその言に従って法隆寺が建立され、龍田神社を鎮守社として祀った(創建伝説)『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.100奈良... 2025.11.20生駒葛城
生駒葛城笙谷寺(奈良県平群町) しょうこくじ聖徳太子が物部守屋討伐祈願の際に松と竹を植えた松は1つの根から雌雄の幹が生えて夫婦松となった(現存せず)竹(竹藪)は凱旋後に切って笙(楽器)を作り、そこから笙の谷と呼ばれるようになった(地名の由来)『日本の伝説13 奈良の伝説』... 2025.11.20生駒葛城
生駒葛城朝護孫子寺(奈良県平群町) ちょうごそんしじ寅の年寅の日寅の刻に聖徳太子がこの地で毘沙門天を感得し、物部守屋を討った後に毘沙門天像を祀った(創建伝説)山号の“信貴山”は聖徳太子が「信ずべき、貴ぶべき山」と称したことから始まる(地名の由来)『日本の伝説13 奈良の伝説』... 2025.11.20生駒葛城
磯城高市橘寺(奈良県明日香村) たちばなでら田道間守(廷臣)が中国から持ち帰った橘(果菜)の実を植えたことから寺の名が付いた(名称の由来)聖徳太子の生誕地とされ、祖父に当たる欽明天皇の別宮(橘宮)に太子が寺を建立した『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.61奈良県... 2025.11.17磯城高市
磯城高市七ツ井戸(奈良県桜井市) ななついど聖徳太子がこの湧水のある場所を通りがかると、一人の乙女だけがこの湧水で芹を洗い続けた話しかけた太子はその娘が聡明なのを気に入り妻とした(後の膳夫人:玉の輿)『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.50奈良県桜井市 安倍木材団... 2025.11.15磯城高市
磯城高市興福寺 八釣山地蔵(奈良県橿原市) こうふくじ やつりやまじぞう仏法を嫌った物部守屋が橘寺を焼き討ちにした時、地蔵自らが飛んで天香具山に逃げた(神仏の避難)後に聖徳太子が山の麓に寺を建てて祀った『日本の伝説13 奈良の伝説』(角川書店)p.48奈良県橿原市 下八釣町 2025.11.14磯城高市
磯城高市屋就神命神社・矢継の森(奈良県橿原市) やつぎしんめいじんじゃ・やつぎのもり聖徳太子が居を定めようと矢を放って最初に落ちた叢林まだ場所が悪いとして再度矢を放って、法隆寺あたりに落ちたため居を定めたとされる(地名の由来)大和国土佐の殿様が郡山の殿様へ矢を射て最初に落ちた場所土佐の殿... 2025.11.14磯城高市
磯城高市屏風杵築神社 屏風の清水(奈良県三宅町) びょうぶきつきじんじゃ びょうぶのしみず法隆寺から橘寺に通う聖徳太子が街道の途中で馬を休めて休憩した近隣で農作業をする者の姿が目障りだろうと村人が太子のために目隠しの屏風(塀)をこしらえたこのことからこの地は屏風と呼ばれ(地名の由来)、神社... 2025.11.14磯城高市
奈良宇陀広大寺池(奈良県奈良市) こうだいじいけ聖徳太子が稗田の里(現・大和郡山市)を巡察した時、里人が水不足で稗を食しているのを哀れに思ったそこで少し離れた場所で杖を突いて水を出して池を造ったそのため広大寺池の水の権利は、池から離れた稗田のものとなった(起源伝説)『日本の... 2025.11.13奈良宇陀