熊毛大島俊寛の涙石(鹿児島県三島村) しゅんかんのなみだいし独りだけ赦免されずに島に残された俊寛は、毎日この石に腰掛けて迎えの船が来ないか海を見て泣き続けたとされる(腰掛け石)『日本の伝説11 鹿児島の伝説』(角川書店)p.84鹿児島県三島村 硫黄島 2025.08.27熊毛大島
北薩岩どんの岩(鹿児島県薩摩川内市) いわどんのいわ“岩どん”は山に棲む巨人で、特に悪いこともせず、村人に米を買うよう頼むなどして暮らしていたこの巨人が米を受け取る場所とした岩で、ここに腰掛けていたという(腰掛け石)道路を造るために何度も谷底に落としたが、翌日には元に戻っている... 2025.08.27北薩
峡南浄身石(山梨県市川三郷町) じょうしんせき木花咲耶姫命が富士山にいた頃、産後常に水で身を清めていたため、噴火の際にも母子とも無事であった富士山が噴火した時、木花咲耶姫命が四尾連湖に逃れてきたが、途中で産気付いた命はこの場所で出産し、この石に座って湧水で身を清めた(腰掛... 2025.08.12峡南
峡南弁当石(山梨県南部町) べんとういし巡錫中の日蓮が集落に立ち寄って大石の上で休憩した(腰掛け石)老婆が中食(料理)を供したので、お礼に手拭い(織布)に題目を書いて授けた(手拭い曼荼羅:現存せず)この大石を弁当石と呼び、老婆の家は屋号を「べっとうし」とされた(民家の... 2025.08.12峡南
峡南懸腰寺 法論石(山梨県富士川町) けんようじ ほうろんせきこの地に巡錫していた日蓮がこの石に腰掛けて法話をおこなっていた(腰掛け石)これを聞いた妙法寺の善智法印が法論を仕掛けたが、分が悪くなった法印は法力でこの大石を浮揚させたが、日蓮はこれを止めて逆に降ろせなくさせ、法印の... 2025.08.11峡南
峡北峡中教来石(山梨県北杜市) きょうらいし日本武尊が東征の折にこの地を通りがかり、この石に腰掛けたとされ(腰掛け石)、地名の由来となった元は“経来石”と表記され、教来石とされる巨石が複数あるらしい『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)p.76山梨県北杜市 白州町下教... 2025.08.10峡北峡中
峡東飛尾大神社(山梨県山梨市) とびおだいじんじゃ東征から戻る途中の日本武尊が座ったという石(腰掛け石:御褥石)が残るこの石は北西にある琴比良山から飛んできたため、社名がついたとされる(投げ石:名称の由来)『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)p.49山梨県山梨市 三... 2025.08.05峡東
峡東石森山(山梨県山梨市) いしもりやまデイラボッチ(巨人)が2つの山を苧殻の棒で担っている途中で棒が折れたためこの場所に置かれた日本武尊が東征の帰途にこの丘に社(山梨岡神社)を勧請し、この周囲にある巨石に腰掛けた(腰掛け石)と言われる『日本の伝説10 甲州の伝説』(... 2025.08.05峡東
峡北峡中夢見山 夢見石(山梨県甲府市) ゆめみやま ゆめみいし嫡男誕生の際、武田信虎(戦国大名)はこの山で宴を開いて昼寝をしていた生まれてくる子が曾我兄弟の弟・五郎であると夢で知らされたこと(夢告)から、夢見山の名が付いた(地名の由来)武田信玄が頂上にある石に腰掛けて(腰掛け石)... 2025.08.05峡北峡中
峡東大蔵原思案石(山梨県甲州市) おおくらはらしあんいし織田方に攻められて城を出た武田勝頼はこの地に至り、周囲を敵に囲まれた事を知ると、この石に座り進退を考えた(落城伝説:腰掛け石)『日本の伝説10 甲州の伝説』(角川書店)p.34山梨県甲州市 大和町田野 2025.08.05峡東