武雄多久小城

万寿観音(佐賀県武雄市)

まんじゅかんのん黒髪山の大蛇退治の際に、武雄の邑主・後藤助明(地方豪族)は大蛇をおびき寄せるための人身御供を求めた讒言で後藤家を追われた松尾弾正の遺児・万寿姫(乙女)が、御家再興を願って名乗り出た水棚に置かれた万寿姫に大蛇は襲いかかったが、...
武雄多久小城

為朝の弓掛松(佐賀県武雄市)

ためとものゆみかけまつ源為朝は最初“おつぼ山(靱山)”に暮らしていたが、領主の後藤助明(地方豪族)が若木に居館を与え、移転させた(屋敷跡)黒髪山の大蛇を退治した時もこの地から出陣したとされ、大蛇に矢を射掛けた“八人掛けの強弓”を立て掛けてお...
唐津伊万里

黒髪山(佐賀県有田町)

くろかみやま標高516mの山で、頂上に“天童岩”と呼ばれる巨石があるこの山に七又の角の生えた大蛇が棲み着き、天童岩に身体を巻き付け、口から火を吹きながら周辺に害をなした長寛2年(1164年)に訴えがあり、武雄邑主・後藤助明(地方豪族)が60...
唐津伊万里

駒鳴峠(佐賀県伊万里市)

こまなきとうげ黒髪山の大蛇を退治した源為朝は、その鱗を都に献上しようと馬に運ばせた途中の峠の上り道で、あまりの重さに馬がいなないたことが“駒鳴”の地名の由来となったこの峠に“駒石”という名の、馬の形に似た石があり、夜な夜ないなないた(夜泣き...
唐津伊万里

十三塚神社(佐賀県伊万里市)

じゅうさんづかじんじゃ近くにある池ノ峠(または城古岳)に牝の大蛇が棲んでおり、源為朝がその退治を頼まれた為朝が強弓で射抜くと、大蛇はのたうち回ってこの地で息絶えた(化け物退治)大蛇の死骸は13に切り分けられ、それぞれ塚に埋められた昭和11年...
唐津伊万里

土器崎/七ツ釜(佐賀県唐津市)

かわらけざき/ななつがま三韓征伐の時、神功皇后の軍勢がこの地で戦勝祈願(あるいは戦勝祝い)をおこない、海神を祀り、神酒をいただいた土器(酒器)を海中に投げた(地名の由来)当地にある“七ツ釜”は、40mの断崖に7つの海蝕洞穴が並んである場所で...
唐津伊万里

鏡山 蛇池(佐賀県唐津市)

かがみやま へびいけ『肥前国風土記』にある、松浦佐用姫の別伝大伴狭手彦(豪族)が出征して5日後の夜、佐用姫の許に狭手彦に似た男が訪ねてきた一夜を共にしたが不審に思った佐用姫が、男の着物の端を糸(裁縫道具)を結んでその後を追うと、男は鏡山の山...
唐津伊万里

諏訪神社(佐賀県唐津市浜玉町浜崎)

すわじんじゃ百済の鷹匠・誓来(斉来:渡来人)が朝廷に鷹を献上するため来日し、矢田連の娘・諏訪姫(姫君)が勅使としてこの地に鷹を受け取りに来た鷹狩りの稽古をするうちに二人は恋仲となるが、献上の鷹が蝮(蛇)に殺されてしまい、諏訪姫は責を負って自...
武雄多久小城

高野神社 矢の根石(佐賀県多久市)

たかのじんじゃ やのねいし境内にある六地蔵塔(石塔)の竿石に、直径1.5cmの鉄鏃(矢尻)が射込まれている源為朝が黒髪山の大蛇を退治した際、鬼の鼻山から矢を放ったところ、大蛇に当たったが刺さらず、跳ね返ってこの石に突き刺さった矢尻の部分が抜...
武雄多久小城

維盛社(佐賀県嬉野市)

これもりしゃ肥前国へ落ち延びた平維盛(平氏)は、途中乗ってきた牛が倒れたこの地に定住した村人は草庵に住む維盛に食事などを運んだが、ひらくち(蝮:蛇)出て難儀したため、維盛が全て退治した後年、維盛の末裔の辻氏が社を建てたが、その境内の砂を撒く...