長者

北摂

雉子畷碑(大阪府吹田市)

きじなわてひ長柄橋の人柱となった巌氏(長柄の人柱碑)の娘は、河内禁野の長者の嫁となったが、ひと言も言葉を発しないそのため離縁となったが、送られる途中で雉が撃たれるのを見て、和歌を一首詠んだ「ものいわじ 父は長柄の 橋柱 雉も鳴かずば 射られ...
河内

寝屋長者屋敷跡(大阪府寝屋川市)

ねやちょうじゃやしきあと『御伽草子』にある「鉢かづき姫(伝承の女性)」の実家である、寝屋長者の屋敷跡京街道と東高野街道を東西に結ぶ山根街道沿いにある『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.95大阪府寝屋川市 寝屋
河内

胸切坂 胸切地蔵(大阪府河内長野市)

むなぎりざか むなぎりじぞう堺の長者の娘が紀州へ嫁ぐため、輿に乗ってこの坂に差し掛かった時、新郎の急死が伝えられた娘は決して実家へ戻らぬ決心であったため、この場で胸を懐剣で刺して自害した(子女受難)このためこの坂を胸切坂と呼ぶようになった(...
河内

黄金塚(大阪府河内長野市)

こがねづか諸越長者は栄耀栄華を極めていたが、ある時貧しい一家の団欒を見て、その暮らしに憧れを持った旅の僧が「貧乏になりたければ毎食ごとに箸を邸外に捨て、それが大きな塚になる頃に願いが叶う」と言ったそれを実行して10数年後に一文無しとなった長...
大阪

舎利尊勝寺(大阪府大阪市生野区)

しゃりそんしょうじ生野の子は生来唖(不具者)であったが、聖徳太子が過去の因縁を思い出させて、口から3粒の舎利を吐き出させた3粒のうち2粒は四天王寺と法隆寺に、残りは長者に与え寺を建立させた(創建伝説)『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)...
大阪

鶯塚(大阪府大阪市北区)

うぐいすづか長柄長者の娘は鶯を飼って、大層可愛がっていたある時病で娘が亡くなると、飼っていた鶯は餌を食べなくなり、初七日の日に死んだ(動物報恩譚)両親は、娘の墓の横に鶯の墓を造り、それが鶯塚と呼ばれるようになった(畜類供養)『日本の伝説8 ...
山城

講田寺 笑地蔵(京都府八幡市)

こうでんじ わらいじぞう雉子畷碑の故事(人柱)で離縁を免れた長者の娘は夫の死後不言寺を建て、長柄橋の橋柱(用材)で地蔵を造った不言寺が廃寺となり、地蔵だけが講田寺に安置された『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.14京都府八幡市 橋本...
大阪

長柄の人柱碑(大阪府大阪市淀川区)

ながえのひとばしらひ長柄の橋は幾度となく流されたため、人柱を立てることに決めたこの時通りがかった垂水長者の巌氏が、袴に継ぎ当てのある者を人柱にと進言した巌氏の袴に継ぎ当てがあったため、言った本人が人柱となった(石碑)『日本の伝説8 大阪の伝...
能登南

蛇池(石川県羽咋市)

じゃいけ?大蛇が棲む底なしの池と言われ、池に入ると尻を抜かれる長者が植えたところ、千石もの実が採れたという豆の木を抜いた跡別伝では継子に炒り豆を与えて植えさせたところ1粒だけ生豆があり、それが巨木となった(継子殺し)『日本の伝説12 加賀・...
能登南

山出稲荷神社(石川県羽咋市)

やまでいなりじんじゃかつては石城別命の陵墓の上にあったが、宮内省陵墓参考地となったため、観音寺境内に安置された越前の金ケ崎長者の娘が、この観音像(仏像)を奉じて羽咋の岡長者と夫婦となった『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書店)p.8...