顕彰碑

松江出雲

お長畑(島根県雲南市)

おちょうばたけ?彦右衛門・お長の夫婦は伊勢参の折に煙草を初めて見て、それを自分たちで栽培しようと決めた帰りの道中で煙草農家に無理を言って種を分けてもらい、栽培に成功した(起源伝説)出雲で初めて煙草栽培した畑をお長畑と呼び、顕彰碑が建つ『日本...
高槻茨木池田

桜井駅跡(大阪府島本町)

さくらいえきのあと楠木正成が湊川の戦いに赴く直前に息子の正行と対面、戦いに加わらず郷里へ戻るよう諭して別れた地親子の情愛を示す逸話として明治時代以降数多くの顕彰碑が建った『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.111日本伝承大鑑:大阪府...
高槻茨木池田

能因文塚(大阪府高槻市)

のういんふみづか歌人の伊勢を慕ってこの地に隠棲した能因法師が、死の間際に和歌の草稿(文書)を埋めたとされる塚(物品供養)嘉永2年(1849年)に山藤辰政によって文塚の顕彰碑が建てられた『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書店)p.111大阪府...
高槻茨木池田

能因塚(大阪府高槻市)

のういんづか三十六歌仙(歌人)・能因法師の墓所歌人・伊勢の作風に憧れ、伊勢の隠棲地(伊勢寺)のそばで生涯を終えたとされる墳墓そばに建つ顕彰碑は、慶安3年(1650年)高槻藩主・永井直清(大名)が建てたもの『日本の伝説8 大阪の伝説』(角川書...
八尾河内長野

潮音寺 衣縫孝女の墓(大阪府藤井寺市)

ちょうおんじ きぬぬいこうじょのはか衣縫造金継の娘は、父母の墓守として生涯嫁ぐことがなく、孝女(孝子)として顕彰された12歳の時に父が死に、その後母と共に15年間人々のために仮橋を作り続けた(慈善事業)衣縫塚古墳(允恭天皇陵陪塚)の上にあっ...
輪島珠洲

阿武松緑之助碑(石川県能登町)

おうのまつみどりのすけひ第6代横綱(相撲)の出身地に昭和12年(1937年)に建てられた高さ4.5mの顕彰碑阿武松は文政11年(1828年)に横綱となる現在でも、巡業時には力士が立ち寄って参詣する『日本の伝説12 加賀・能登の伝説』(角川書...
七尾羽咋

義民道閑顕彰碑(石川県中能登町)

ぎみんどうかんけんしょうひ加賀藩の十村役(名士)だった園田道閑は、寛文5年(1666年)に検地に反対してこの地で磔となった(刑場)地元では義民として崇められ、カゲロウや蛍も道閑の亡魂とされた昭和42年(1967年)に刑場跡を公園化し、顕彰碑...
広島廿日市

乳母堰追慕の碑(広島県広島市安佐北区)

うばぜきついぼのひ文政年間(1818~1831年)に長らく広島藩主(大名)の乳母を務めた褒美として、“おしゆん”という女性が井堰(用水路)造営を嘆願して実現させた乳母の徳を讃えた顕彰碑が大正時代に建てられた『日本の伝説21 広島の伝説』(角...
岡崎豊田刈谷

大浜熊野大神社 菊女の碑(愛知県碧南市)

おおはまくまのおおじんじゃ きくじょのひ 享保3年(1718年)幕府の捕吏に村人多数が暴行を加えた責を負って(騒動)、加藤友右衛門(名士)は伊豆大島へ流罪となった妻の菊女(貞女)は熊野大神社でお百度を繰り返し、写経の一部と自筆の手紙を添えて...
一宮小牧瀬戸

長松寺 小平治弘法(愛知県大口町)

ちょうしょうじ こへいじこうぼう酒浸りの大工の小平治は、橋の修理で庄屋にあしらわれてから改心し、喜捨を集めて村中の橋を石橋に替えたその死後、長松寺境内に顕彰碑が建てられ、そこに弘法大師(空海)の姿が彫られた空海像の左目が、小平治と同じく失明...