2026-02

武雄多久小城

為朝の弓掛松(佐賀県武雄市)

ためとものゆみかけまつ源為朝は最初“おつぼ山(靱山)”に暮らしていたが、領主の後藤助明(地方豪族)が若木に居館を与え、移転させた(屋敷跡)黒髪山の大蛇を退治した時もこの地から出陣したとされ、大蛇に矢を射掛けた“八人掛けの強弓”を立て掛けてお...
武雄多久小城

おつぼ山(佐賀県武雄市)

おつぼやま九州に流された源為朝が、武雄の領主・後藤助明(地方豪族)の監視の下に居館を構えたとされる(屋敷跡)標高66mの頂上には為朝を祀るとされる“八郎さんの石祠”が置かれる昭和37年(1962年)に全国8番目となる神籠石が発見され、総延長...
武雄多久小城

川古の大楠(佐賀県武雄市)

かわごのおおくす樹高25m、幹周り21m、樹齢3000年とされる楠の木この地を訪れた行基が、幹の部分に高さ2.4mの観音像(仏像)を刻んだ明治の廃仏毀釈の際に観音像は削り取られ、その後その輪郭も剥落している削り取った際、頭部に当たる箇所から...
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淀姫神社(佐賀県武雄市朝日町中野)

よどひめじんじゃ神功皇后が三韓征伐で武雄に滞在していた時、妹の淀姫(豊姫)が姉を慕って訪れた面会後姉は旅立ったが、淀姫は病を得てこの地で亡くなって葬られた桓武天皇の妹・松代姫(皇族)はこの故事を聞き、淀姫を祀る神社を建立したとされる(創建伝...
武雄多久小城

鎌倉水(佐賀県武雄市)

かまくらみず文治2年(1186年)源頼朝は、平家との戦勝祈願の御礼参りとして天野遠景(源平の武将)を武雄神社に遣わした参拝の折、源氏の祖・清和天皇の叔母にあたる柏姫(姫君)が葬られている円応寺を参詣し、墓前に浄水を手向けたこの時に献じた水を...
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柏岳(佐賀県武雄市)

かしわだけ標高239mの山で、太政大臣藤原良房(藤原氏)の娘・柏姫(姫君)から名付けられた(地名の由来)柏姫は、姉の明子が産んだ惟仁親王(後の清和天皇)の皇位継承争い解決を祈願するため、九州の諸社を参詣したその途中で病を得た姫は武雄温泉で療...
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石造八並の塔(佐賀県武雄市)

せきぞうやつなみのとう室町時代頃に造られた、高さ3mの石塔曾我兄弟の兄・十郎の許嫁であった虎御前は、兄弟が仇討ちで落命した後に尼僧となって全国をめぐった小城の岩蔵寺の落慶を聞いて九州へ下った虎御前が、その途中で兄弟の供養のためにこの石塔を建...
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東洋館 武蔵の井戸(佐賀県武雄市)

とうようかん むさしのいど宮本武蔵(剣豪)は武雄温泉の平戸屋(現・東洋館:店舗)という宿屋に一時期逗留し、その際使用した井戸が現存する逗留時に、父親を無礼討ちされた農民・静馬の仇討ちの志願を聞き届けて熊本へ連れて帰り、5年間剣の修行をさせて...
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蓬莱山(佐賀県武雄市)

ほうらいさん標高330mの山不老不死の仙薬を求めて日本へ来た徐福は、最初伊万里湾から上陸した初め黒髪山に仙薬(薬草)を求めたが見つからず、次に蓬莱山に登ったとされるさらに杵島山も探すも見つからず、再び船を出して佐賀に寄港して金立山に登った『...
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御船山(佐賀県武雄市)

みふねやま標高210mの山三韓征伐を終えた神功皇后はこの地に船を停泊させて上陸したが、その時船を繋いだのがこの山であるとされる(地名の由来:舟繋ぎ伝説)また停泊した船がそのまま山になってしまったともされ(地形の由来)、北の嶺が船首、南の嶺が...