きしだけじょうあと
- 松浦党の分家・波多氏が鎌倉時代以降居城としたとされる城
- 波多氏17代の三河守親(ちかし:戦国大名)は豊臣秀吉の不興を買い、文禄2年(1593年)朝鮮の役から帰国直後に軍律違反を理由に帰城を許されず改易となった
- この時残された家臣の多くがこの地で自害した(城を枕に討死したとも)ことから“岸岳末孫”と呼ばれる祟りが一帯で起こったとされる(落城伝説)
- またこの落城の際に姫君を始めとする婦女子が飛び降りたとされる“姫落とし岩”(巨石)、抜け穴とされるものが城跡の東端部分にある
『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p.76
佐賀県唐津市 北波多稗田

