武雄多久小城万寿観音(佐賀県武雄市) まんじゅかんのん黒髪山の大蛇退治の際に、武雄の邑主・後藤助明(地方豪族)は大蛇をおびき寄せるための人身御供を求めた讒言で後藤家を追われた松尾弾正の遺児・万寿姫(乙女)が、御家再興を願って名乗り出た水棚に置かれた万寿姫に大蛇は襲いかかったが、... 2026.03.01武雄多久小城
武雄多久小城河童の誓文石(佐賀県武雄市) かっぱのせいもんいし河童(兵主部)は、橘諸兄の孫・兵部大輔島田丸(公家)が春日大社造営の際に人形に命を吹き込んで手伝わせたものの末裔とされ、橘氏の赴任と共に当地に棲み着いた兵主部の悪戯が酷くなったために、上流の橋から下流の岸にある石(目安の... 2026.03.01武雄多久小城
武雄多久小城潮見神社(佐賀県武雄市) しおみじんじゃかつてこの地は“島見郷”という小島で、そこに島見神社が創建され、後年潮見神社と称した(名称の由来)嘉禎3年(1237年)に地頭として赴任した橘公業(地方豪族)が、橘氏の祖・橘諸兄(皇族)を祭神に加えたこの地は、諸兄の子・橘奈良... 2026.03.01武雄多久小城
武雄多久小城稲主神社(佐賀県武雄市) いなぬしじんじゃ源頼政の孫・源頼茂(源氏)は京で謀反の疑いを掛けられたため、木元夕路木と名を改めて7人の子と共にこの地に隠棲したこの地で紅稲が盗まれる事件があり、夕路木が疑われ、役人が子に何を食べたかと尋ねると「赤まんま」と答えた尋問された... 2026.03.01武雄多久小城
武雄多久小城為朝の弓掛松(佐賀県武雄市) ためとものゆみかけまつ源為朝は最初“おつぼ山(靱山)”に暮らしていたが、領主の後藤助明(地方豪族)が若木に居館を与え、移転させた(屋敷跡)黒髪山の大蛇を退治した時もこの地から出陣したとされ、大蛇に矢を射掛けた“八人掛けの強弓”を立て掛けてお... 2026.02.27武雄多久小城
武雄多久小城おつぼ山(佐賀県武雄市) おつぼやま九州に流された源為朝が、武雄の領主・後藤助明(地方豪族)の監視の下に居館を構えたとされる(屋敷跡)標高66mの頂上には為朝を祀るとされる“八郎さんの石祠”が置かれる昭和37年(1962年)に全国8番目となる神籠石が発見され、総延長... 2026.02.27武雄多久小城
武雄多久小城川古の大楠(佐賀県武雄市) かわごのおおくす樹高25m、幹周り21m、樹齢3000年とされる楠の木この地を訪れた行基が、幹の部分に高さ2.4mの観音像(仏像)を刻んだ明治の廃仏毀釈の際に観音像は削り取られ、その後その輪郭も剥落している削り取った際、頭部に当たる箇所から... 2026.02.27武雄多久小城
武雄多久小城淀姫神社(佐賀県武雄市朝日町中野) よどひめじんじゃ神功皇后が三韓征伐で武雄に滞在していた時、妹の淀姫(豊姫)が姉を慕って訪れた面会後姉は旅立ったが、淀姫は病を得てこの地で亡くなって葬られた桓武天皇の妹・松代姫(皇族)はこの故事を聞き、淀姫を祀る神社を建立したとされる(創建伝... 2026.02.27武雄多久小城
武雄多久小城鎌倉水(佐賀県武雄市) かまくらみず文治2年(1186年)源頼朝は、平家との戦勝祈願の御礼参りとして天野遠景(源平の武将)を武雄神社に遣わした参拝の折、源氏の祖・清和天皇の叔母にあたる柏姫(姫君)が葬られている円応寺を参詣し、墓前に浄水を手向けたこの時に献じた水を... 2026.02.27武雄多久小城
武雄多久小城柏岳(佐賀県武雄市) かしわだけ標高239mの山で、太政大臣藤原良房(藤原氏)の娘・柏姫(姫君)から名付けられた(地名の由来)柏姫は、姉の明子が産んだ惟仁親王(後の清和天皇)の皇位継承争い解決を祈願するため、九州の諸社を参詣したその途中で病を得た姫は武雄温泉で療... 2026.02.27武雄多久小城