武雄多久杵島山(佐賀県白石町) きしまやま常陸の筑波山、摂津の歌垣山と共に“日本三大歌垣”として知られる山歌垣は、春と秋に若い男女が集まって飲食しながら歌を詠み合う、求愛の行事歌垣公園には、『万葉集』の「あられふる 杵島が岳を 険しみと 草とりかねて 妹が手をとる」の和歌... 2026.01.19武雄多久
武雄多久水堂さん(佐賀県白石町) みずどうさん正式名称は水堂安福寺天平時代、ある猟師が白鹿に矢を放ったところ鹿が金色に輝き、後を追うと矢の刺さった観音石像を見つけた猟師はその場で出家して観音を祀ったが、その矢の痕から霊水が湧き出てきた(湧水:創建伝説)水は例年旧暦の4月15... 2026.01.19武雄多久
武雄多久六角の泣仏地蔵(佐賀県白石町) ろっかくのなきびす?じぞう生活苦で母親に捨てられた赤子が、乳を求めて泣きながら死んでしまった(子女受難)ある者がその赤子の供養に地蔵を建て、この地蔵に乳を供えると乳が出るようになるとされた(授乳の俗信)また乳を地蔵に掛けると、目から涙を流し... 2026.01.19武雄多久
武雄多久持永盛秀の墓(佐賀県小城市) もちながもりひでのはか持永氏が室町時代に造った持永城本丸跡に残る墓所持永盛秀は戦国武将で、千葉氏の下で龍造寺家に属して武功を挙げたこの墓に詣でると、瘧(熱病)が治るとされた(信仰の墓碑:病気平癒)『日本の伝説38 佐賀の伝説』(角川書店)p... 2026.01.19武雄多久
武雄多久天満神社(佐賀県小城市牛津町) てんまんじんじゃ壇ノ浦の戦いで敗れた平景清は肥前の牛津に落ち延びてきた景清は菅原道真を信奉しており、その像(貴人像)を勧請して天満神社に遷したこの像は“悪七天神”と呼ばれ、世話事・訴え事の祈願すると霊験があるとされた(特殊な御利益)『日本の... 2026.01.19武雄多久
武雄多久天山 阿蘇惟直の墓(佐賀県小城市) てんざん あそこれなおのはか多々良浜の戦い(南北朝の戦い)で南朝方が敗れ、南朝の阿蘇惟直(南北朝の武将)は負傷しつつも肥前まで撤退したしかし敵に退路を断たれたためこの地で自刃し、故郷の阿蘇の煙が見える場所に墓を建てるよう遺言したそのため当地... 2026.01.18武雄多久
武雄多久晴気天山社(佐賀県小城市) はるけてんざんしゃ天山の麓の、3社ある下宮の一つかつて天山を七回りも巻くほどの大蛇が棲んでおり、夜な夜な晴気天山社境内の池の水を飲みに現れたこの池に龍の絵(絵画)を入れたところ、大蛇がそれを見て怒り、嵐となったその年は作物が不作となり(飢饉... 2026.01.18武雄多久
武雄多久岩蔵寺 曾我殿の腰掛石(佐賀県小城市) がんぞうじ そがどののこしかけいし延暦22年(803年)に勅命により創建、建久3年(1192年)に栄西(名僧)によって再興された寺でおこなわれた如法教(写経納経)会に虎御前や鬼王団三郎が参加して、曾我兄弟の菩提を弔ったこの法要の時、曾我兄弟... 2026.01.18武雄多久
武雄多久清水の滝(佐賀県小城市) きよみずのたき高さ75m、幅13mの滝で、別名“玉簾の滝”と呼ばれる近くの清水観音宝地院の滝行がおこなわれる霊場とされる肥前藩6代藩主(大名)の鍋島宗教が大病を患った時、藩士の倉永清雄が病気平癒の祈願で滝に打たれ凍死した天明7年(1787年... 2026.01.18武雄多久